ともきりまる 友切丸

『寿曽我対面』や『助六』に登場する、歌舞伎で注目度随一の源氏の重宝。平安時代、源氏の祖である源満仲が作らせた「髭切(ひげきり)」と「膝丸(ひざまる)」という対の太刀があった。「髭切」の名は罪人を試し斬りしたときに髭までスパッと切れたことに由来する。満仲の子頼光の家来渡辺綱が、これで鬼女の腕を斬ったので、太刀は「鬼切」と名を変えたとも伝わる。『戻橋(もどりばし)』『茨木(いばらき)』は、この物語を舞踊劇にしている。これを受けついだ源為義が、太刀の写しを作らせたところ、写しは少し丈が長かった。本物と写しの鞘をはずして並べて立てかけたところ、本物がひとりでに倒れて写しの根元を切り、同じ寸法にしてしまった。そこで太刀は「友切」と呼ばれることになったという逸話がある。しかし重宝が「友切」と呼ばれて以降、源氏に不運が続いたため、また名を「髭切」に戻したらしいのだが…。歌舞伎の世界では「友切丸」が源氏の重宝としてとても有名な刀となった。『対面』では曽我兄弟の義父曽我祐信が紛失した「友切丸」を家臣鬼王新左衛門が苦心して探し出し、兄弟は晴れて仇討ちを実行する。『助六』の助六実は曽我の五郎も、友切丸を見つけるために廓で喧嘩を売って歩く。『鬼一法眼三略巻』で、一條大蔵卿が秘蔵していた源氏の重宝を友切丸とする台本もある。(前川文子)

【写真】
『寿曽我対面』工藤左衛門祐経(坂東三津五郎) 平成14年5月歌舞伎座