ながうた 長唄

歌舞伎と極めて密接な関係にある長編の唄物で、三味線の普及と共に成長を遂げ、歌舞伎の発展に大きく寄与しています。初期には江戸長唄と呼ばれていましたが、のちに上方にも普及すると、単に長唄と呼ばれるようになりました。歌舞伎舞踊の伴奏音楽として大きな役割を果たし、大曲『京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)』のヒットがその地位を決定付けましたが、文化文政期にはいくつものテーマを踊り分ける変化(へんげ)舞踊が流行し、その一部が『藤娘』『越後獅子(えちごじし)』など小品として今日まで親しまれています。明治以降には能の影響を受けた『船弁慶』『連獅子』などの大曲が作られ、また舞台を離れて『老松(おいまつ)』『秋の色種(いろくさ)』『吾妻八景(あづまはっけい)』といった演奏会用長唄も多く誕生しました。演奏に際しては鼓、笛などの鳴物と合体して長唄囃子連中として演奏されることが多く、また舞踊ばかりでなく劇中の情景や状況を細かく表現した黒御簾音楽でも演出上の重要な役割を担っています。(金田栄一)

【写真】
『勧進帳』[左から]亀井六郎(大谷友右衛門)、片岡八郎(市川高麗蔵)、武蔵坊弁慶(市川染五郎)、駿河次郎(澤村宗之助)、常陸坊海尊(松本錦吾)、源義経(中村吉右衛門) 平成26年11月歌舞伎座
舞台の背景の松羽目の前で演奏する長唄囃子連中。緋毛氈をかけた雛壇の上に長唄の唄方と三味線方が居並び、その前に囃子方が床几にかけている。