獅子の子どもは親に蹴り落とされても力を振り絞ってはい上がるという。父親の厳しい教育に見事に応える子のけなげさが涙を誘う。親子の情愛があふれ出る迫力の名作。
能舞台を模した松羽目の舞台に狂言師の右近、左近が登場。右近が手にする手獅子の毛と布(しころ)は白、左近は赤で老若を示している。二人は厳かに舞い始め、文殊菩薩の霊山清涼山にかかる石橋を描写する。石橋は人間が造った橋ではなく、神仏の力によって自ずと出現した橋だという。それは空にかかった虹のようにも見え、そこには文殊菩薩の使いである獅子が牡丹に戯れている。
舞は獅子の子落とし伝説へと移る。獅子はわが子を谷底に落とし、這い上がってきた強い子だけを育てるという伝説の再現だ。右近が父獅子、左近が子獅子の心で舞い進む。父がおそろしく深い谷に子を蹴り落とす。子獅子は一度は登ってくるが、また突き落とされると、折からの嵐に爪が立てられず、木陰でしばし休んでしまう。
子がなかなか登ってこないのは怖気づいたのだろうか、育てた甲斐がなかったのかと危ぶむ父。深い谷間を覗くと、水面にその影が映り…、親と子がそれぞれの存在に気付く。父の姿を見るや子は勇み立ち、高い岩をものともせず一気に駆け上がっていく。花道から本舞台めがけて勢いよく進んでいく子、それを迎える父の姿が感動的なシーン。やがて二人は手獅子を再び手にし、蝶々を追って花道を入る。
獅子の親子が引っ込むと、間狂言になる。場面は清涼山の麓あたり。法華宗と浄土宗の僧が道連れになり、清涼山を登りはじめる。最初は和やかに話をしていたのが、お互いの宗旨を知ると、宗旨の優劣争いに発展。法華経の功徳の素晴らしさ、念仏の御利益のありがたさをそれぞれが身振り手振りで語る。続いて法華宗の僧が団扇太鼓を叩いてお題目「南無妙法蓮華経」を、浄土宗の僧が叩き鉦(かね)を打って念仏「南無阿弥陀仏」を繰り返し唱えるうちに…。いつの間にか、題目と念仏を取り違えるという結果に。折から吹きつける暴風に二人は慌てて逃げていく。
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