怨霊事は元禄期(1688~1704)ごろ、女方の芸としてもてはやされました。1702(元禄15)年に近松門左衛門と坂田藤十郎がタイアップして大ヒットした『けいせい壬生大念仏』でも、今に伝えられている壬生狂言をとり入れて、綱渡りが演じられました。この頃の女方の芸にはこうした軽業の芸があり、女が嫉妬や恋の怨みから猫や怨霊に変身する「嫉妬事」「怨霊事」で、しばしば演じられました。軽業の綱渡りには傘が欠かせません。いまでも女方舞踊の名作『鷺娘』などで、傘が使われます。江戸時代には、雨の夜道で傘に物の怪や怨霊がとりつくという伝承がありました。近代になると、軽業や見世物などの雑芸の系譜は、歌舞伎から排除されていきます。しかし、たとえば『色彩間苅豆~かさね』で嫉妬の怨みから怨霊になったかさねが、逃げようとする与右衛門を引き戻す「連理引き」や、『加賀見山再岩藤(かがみやまごにちのいわふじ)』で「骨寄せ」によって蘇生した岩藤が傘をさしての宙乗りや、大詰で二代目尾上と傘を使った立回りをする場面などで、怨霊事の伝統が生きているのです。(浅原恒男)
【写真】
『加賀見山再岩藤』岩藤の亡霊(市川亀治郎) 平成22年3月南座
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『加賀見山再岩藤』岩藤の亡霊(市川亀治郎) 平成22年3月南座