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なみきしょうぞう(しょうざ) 初代並木正三

廻り舞台を考案した、ドラマチックな展開が得意な作者

1730(享保15)~1773(安永2)

【略歴 プロフィール】
「浄瑠璃に(近松)門左衛門、歌舞伎に(並木)正三」と讃えられる狂言作者並木正三は、享保15(1730)年に生まれ、大坂の芝居茶屋和泉屋の子として育ちました。現在、名前の「正三」は「しょうぞう」と読まれることが多いようですが、「しょうざ」と読む説もあり、確定していません。
歌舞伎や操り人形芝居の楽屋を遊び場にして過ごし、14歳のころには舞台で使うからくりを考案したといわれています。10代から歌舞伎の脚本を書き始め、1749(寛延2)年、20歳のころには大西正三、泉屋正三という名で立作者となりました。その翌年1750(寛延3)年、人形浄瑠璃の豊竹座の作者であった並木宗輔(なみきそうすけ)に弟子入りし、並木正三を名乗るようになります。『日蓮上人御法海(にちれんしょうにんみのりのうみ)』や『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』の浄瑠璃作品に合作者の一人として名を連ねますが、弟子入りして一年か二年経つか経たないうちに宗輔は亡くなってしまいます。その後、正三は1753(宝暦3)年から再び歌舞伎の世界に戻り、亡くなるまでの約20年間、時代物、お家騒動物、仇討物、侠客物など様々なジャンルにわたる歌舞伎脚本を書き続けました。
作品の多様さ、多作に加え,並木正三の名前を不動のものにしているのは、彼が考案した舞台機構です。正三が歌舞伎の世界に戻った1753(宝暦3)年の大坂大西芝居では『けいせい天羽衣(あまのはごろも)』で三間(約5.3メートル)四方に7人という人数を乗せ、同時にセリ上げるという大規模な仕掛けを見せました。また1758(宝暦8)年大坂角の芝居『三十石艠始(さんじっこくよふねのはじまり)』では舞台下を掘らせて奈落で操作する大掛かりな廻り舞台を作り、大切で裏方の姿を見せることなく舞台を転換させて見物を驚かせました。そのほかにも引き道具やがんどう返し、宙乗りなど現在使用される舞台機構の多くが正三によって考え出されたと言われています。
1773(安永2)年、一年ほど前から胸の痛みの発作に襲われていましたが、『日本第一和布刈神事(にっぽんだいいちめかりのしんじ)』の外題を決めるため、杖にすがって打ち合わせに出かけた夜、急に容体が悪化し死去しました。44歳という若さでした。

【作風と逸話】
並木宗輔の門下で浄瑠璃作者として修行し、そこで培ったドラマチックな構想や展開、様々な先行作品を巧みにとりいれ、大規模な舞台装置や転換技術を融合させ、実際に舞台で視覚的に表現してみせる手腕は他に比するものがありません。また『宿無団七時雨傘(やどなしだんしちしぐれのからかさ)』のように、実際に起こった事件をストーリーに取り込み、すぐに舞台化する “一夜漬(いちやづけ)”、異国趣味を織り込んだ『三千世界商往来(さんぜんせかいやりくりおうらい)』など世間の話題や関心事にも敏感でした。『天竺徳兵衛聞書往来(てんじくとくべいききがきおうらい)』はのちの“天竺徳兵衛もの”の魁(さきがけ)となっています。また、『宿無団七時雨傘』には“並木正三”という自分自身の役を登場させるなど、斬新なアイデアにも富み、現在の歌舞伎のエンターティメント的要素の多くは、すでにこの正三の作品に含まれていたといってもよいでしょう。義太夫節の語り(竹本)を比較的多く使用した作品が多いのは、浄瑠璃作者として過ごした時期の影響だといわれています。

正三は亡くなる時、友人知人に囲まれながら穏やかな様子でしたが、最期に一言「南無三宝」と大喝し眠るように亡くなったと伝えられています。大阪の法善寺にあった墓には「南無参宝正三之墓」と刻まれていたそうです。
初代並木五瓶(なみきごへい)、初代奈河亀輔(ながわかめすけ)、二代目並木正三など門弟を多くもち、天明5(1785)年の十三回忌には、狂言作者たちが集まり、正三の作品を音曲入りで読みあう追善の本読会を2日間にわたり催しました。その後『並木正三一代噺(なみきしょうぞういちだいばなし)』が出版されましたが、江戸時代に歌舞伎作者の評伝が出されるというのは非常に珍しいことでした。(飯塚美砂)

【代表的な作品】
幼稚子敵討(おさなごのかたきうち) 1753(宝暦3)年7月
けいせい天羽衣(あまのはごろも) 1753(宝暦3)年12月
天竺徳兵衛聞書往来(てんじくとくべいききがきおうらい) 1757(宝暦7)年正月
三十石艠始(さんじっこくよふねのはじまり) 1758(宝暦8)年12月
霧太郎天狗酒醼(きりたろうてんぐのさかもり) 1761(宝暦11)年正月
宿無団七時雨傘(やどなしだんしちしぐれのからかさ) 1768(明和5)年7月
桑名屋徳蔵入船物語(くわなやとくぞういりふねものがたり) 1770(明和7)年12月
三千世界商往来(さんぜんせかいやりくりおうらい) 1772(安永1)年正月

【舞台写真】
『宿無団七時雨傘』舞台全景 昭和38年6月歌舞伎座 正面中央に座っているのが並木正三(十七代目中村勘三郎)、その後ろで正三の髪を結っているのが団七(二代目尾上松緑)。
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