わごととやつし 和事とやつし

若く優しい色男の恋模様を描く「和事」は、俳優の「役柄」であるとともに、出雲阿国が茶屋の女と客のやりとりを演じて以来の「傾城買い」狂言を基本とした芝居の趣向(演出)でもあります。元禄期の名優初代坂田藤十郎は、1678(延宝6)年に若くして亡くなった大坂新町の名妓・夕霧を追善する『夕霧名残の正月』で藤屋伊左衛門を演じて大当たりをとりました。この芝居は何度も再演され、1684(貞享元)年の『夕霧七年忌』でも伊左衛門を演じています。1699(元禄12)年には『傾城仏の原』で梅永文蔵を演じて、独自の芸風を完成させました。これらの役で藤十郎は、裕福な商家の若旦那や大名の若殿でありながら傾城に入れあげて勘当され、貧しい境遇に落ちても優しさと品位を失わず、傾城が病気だと聞くと冬の寒さの中を反故紙を貼り合わせてつくった紙衣(かみこ)を着た落ちぶれた姿で見舞いに行って、他愛ない痴話喧嘩をしたりします。若旦那や若殿が零落したさまを「やつし」といい、わが国に古くから伝わる「小さ神」や、貴種流離譚の系譜につらなるものです。こうした、遊里を舞台に、若く優しげな美男が演じる「やつし」や女との「口舌(くぜつ)」「濡れ事」を、明るく品よく、時には滑稽味をもって演じるのが「和事」です。江戸でも、初代市川團十郎と同じ頃に活躍した初代中村七三郎(1662~1708)が「濡れ事」の名人でした。1698(元禄11)年正月に京で上演された『傾城浅間嶽(けいせいあさまがたけ)』で七三郎が演じた「やつし」の演技は大評判をとり、120日間も打ち続けました。七三郎はまた、曽我物の十郎を和事で演じ、以後、十郎は和事で演じられるようになりました。のちに二代目市川團十郎が初演する『助六』で助六実は曽我五郎が紙衣を着るのも、和事の趣向が入っているからです。(浅原恒男)

【写真】
『廓文章』[左から]吉田屋喜左衛門(片岡我當)、藤屋伊左衛門(坂田藤十郎) 平成20年11月歌舞伎座