「草履打」は1695(元禄8)年正月の江戸山村座で演じられたのが初めてといわれます。その翌々年正月の江戸中村座『参会名護屋(さんかいなごや)』では、初代市川團十郎演じる不破伴左衛門が、名護屋山三郎のために、傾城葛城が本気で山三郎に惚れているか確かめに行って、葛城を見たとたん自分が惚れてしまい、怒った山三郎に草履で打たれます。伴左衛門はその屈辱から「なぜ刀で切らず、草履で打った」と怨んで切腹してしまいます。「草履打」はふつうの打擲と違い、人としての矜恃を踏みにじる精神的な侮辱の表現なのです。『加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』は大名家の奥座敷で豪華な衣裳を着た奥女中たちの争いを描いた重厚なドラマです。そのクライマックスが、若く美しい中老尾上が意地悪な上司の局(つぼね)岩藤に濡衣を着せられ、草履で打たれる場面です。敵役の岩藤は座頭(ざがしら)級の立役が、尾上は立女形がつとめます。火焔太鼓を描いた銀襖の大広間で、中央に正面切って立つ岩藤が、並み居る奥女中たちが騒ぐのをにらみ回して、下にいる尾上に「なんと骨身にこたえたか」と草履を振り下ろすのを尾上が左手で受け止め、両人が裲襠(うちかけ)の裾をさっとさばいて大見得となります。このあと尾上は自刃し、尾上の忠義な召使いのお初が敵を討ちます。世話物では『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』の長町裏の場が有名です。男伊達の団七が舅の三河屋義平次に悪口雑言を浴びせられた揚句、雪駄で眉間を割られ、ついに堪忍袋の緒が切れて凄惨な殺し場になります。美しく化粧された役者の顔が履き物で打たれる「草履打」は、客席が息を呑んで見入る山場になっています。(浅原恒男)
【写真】
『加賀見山旧錦絵』[左から]中老尾上(坂東玉三郎)、局岩藤(尾上菊五郎) 平成17年10月歌舞伎座
【写真】
『加賀見山旧錦絵』[左から]中老尾上(坂東玉三郎)、局岩藤(尾上菊五郎) 平成17年10月歌舞伎座