はおりおとし 羽織落

若く優しげな二枚目が恋しい女を一途に想いつめ、うかうかと歩いているうちに羽織がスルッと脱げ落ちてしまう。ただそれだけの演技が見どころになるのが、歌舞伎ならではの面白さです。なにげないしぐさに和事師の色気と愛嬌を見せるのが眼目で、台本にはない役者の創造でしょう。近松門左衛門の『冥土の飛脚』を歌舞伎にした『恋飛脚大和往来(こいのたよりやまとおうらい)』で、新町の遊女梅川に夢中になっている忠兵衛が、橋のたもとで遊里に行こうか仕事に戻ろうかと思案しているうちに、着ていた羽織がするりと脱げ落ちる演技は、すぐれた和事師が演じると、それだけで濃厚な味わいのある一幕になります。江戸でも1853(嘉永6)年1月の中村座で初演された『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』(お富与三郎)で、人気絶頂だった八代目市川團十郎演じる与三郎が初めてお富を見染める木更津海岸の場で、羽織落を演じました。「引き抜き」や「ぶっ返り」ほど派手ではありませんが、羽織が脱げ落ちる瞬間、蛹の殻から蝶が姿を現すように、主人公の心の底に秘めていた性根が明らかになるのです。(浅原恒男)

【写真】
『与話情浮名横櫛』伊豆屋若旦那与三郎(市川染五郎) 平成22年1月歌舞伎座