仇討は武家社会において父あるいは主君などを殺され、お家の存続にかかわる場合にその敵を討つ行為で、中世すなわち鎌倉室町の時代から続いていたものを江戸幕府が法制化しています。妻や子が殺された場合には仇討は成立しませんし、仇討には幕府や奉行などの許可が必要で勝手な復讐は許されません。仇討は江戸の庶民にとって極めて関心が高くもっとも有名なものに曽我兄弟の仇討があり、江戸時代にはおびただしい数の曽我物の芝居が上演されています。また曽我兄弟と並んで「三大仇討」とされるものに赤穂浪士の討入りと荒木又右衛門の伊賀上野の仇討がありますが、それに題材を取った『仮名手本忠臣蔵』『伊賀越道中双六』は今も数多く上演される人気演目となっています。他には『彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち)』『敵討天下茶屋聚(かたきうちてんがじゃやむら)』などがあり、また視点の違うものに、妻の姦通相手を討つ「女敵討(めがたきうち)」という演目群もあります。(金田栄一)
【写真】
『仮名手本忠臣蔵』十一段目 [左から]富森助右衛門正国(大谷廣太郎)、原郷右衛門元辰(大谷友右衛門)、高師直(中村勘之丞)、大星由良之助良兼(松本幸四郎)、大星力弥良春(中村児太郎) 平成25年12月歌舞伎座
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『仮名手本忠臣蔵』十一段目 [左から]富森助右衛門正国(大谷廣太郎)、原郷右衛門元辰(大谷友右衛門)、高師直(中村勘之丞)、大星由良之助良兼(松本幸四郎)、大星力弥良春(中村児太郎) 平成25年12月歌舞伎座