けいせいかい 傾城買い

歌舞伎の創始とされる出雲阿国の時代から「茶屋遊び」の踊りが盛んに演じられています。それが遊里すなわち廓(くるわ)を舞台とした演目へと発展、特に初代坂田藤十郎の出現によって傾城買い狂言が大いに評判を呼び、「和事」と呼ばれる上方歌舞伎の代名詞ともいえる演技が確立してゆきます。傾城とは国を傾けるほどの美女という中国伝来の言葉で、最高位にある遊女のことです。傾城のもとへ通ってくる遊客も当然身分が高く、しかし放蕩が過ぎて零落し身をやつして彼女のもとへ逢いに来るという、切ないその姿がまた観客の共感を呼びました。江戸時代の上方の芝居では初春狂言に必ず「けいせい」あるいは「傾城」の字が入るのが決まりとなっていましたが、対する江戸では「曽我」の字が入ります。(金田栄一)

【写真】
『廓文章』[左から]藤屋伊左衛門(中村鴈治郎)、扇屋夕霧(坂田藤十郎) 平成27年4月歌舞伎座