かいだん 怪談

幽霊や怨霊が舞台に登場するのは能楽や初期の歌舞伎にもありますが、江戸時代も爛熟退廃の様相を呈してきた文化年間に入ると観客もさらに刺激を求め、それに応えて恐怖感をあおる舞台が展開されるようになります。四世鶴屋南北が書いた『天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)』で乳母五百機(いおはた)の霊を演じた初代尾上松助が鬘、衣裳、大道具に工夫を凝らして大当たりを取り、以来夏芝居の怪談物が定着しました。特に同じく南北の作『東海道四谷怪談』が三代目尾上菊五郎によって初演され、この演目は怪談物の代名詞として今日まで受け継がれています。さらに怪談物は五代目尾上菊五郎、六代目尾上梅幸と受け継がれ、菊五郎家にとって家の芸ともいえる芸風が確立してゆきます。明治期以降は三遊亭圓朝の怪談噺から『怪異談牡丹燈籠』『真景累ケ淵』などが舞台化され、さらに昭和に入ってからは、宇野信夫作『巷談宵宮雨(こうだんよみやのあめ)』を六代目菊五郎が名演しています。(金田栄一)

【写真】
『東海道四谷怪談』お岩の亡霊(中村勘太郎) 平成22年8月新橋演舞場