けいせい 傾城

傾城というのは最高位にいる遊女ですが、その美しさや賢さは群を抜き当時における女性の理想像ともいえます。語源は漢の時代にさかのぼり、君主に愛されて一国一城をも傾けるほどの美人の譬えです。元禄期に活躍した女方の祖・初代芳沢あやめがその著書「あやめぐさ」の中で、歌舞伎の女方は傾城の役が表現できればひとつの完成とみられると述べている通り、女方芸の頂点というものを早くからここに置いていました。また初代坂田藤十郎が『夕霧名残の正月』を演じて以来「傾城買い狂言」が上方の芝居の特徴となり、やがて「和事」という芸風が確立してゆきます。江戸時代、上方の正月芝居には「傾城」あるいは「けいせい」の字が必ず入れられる約束となっていましたが、それに対し江戸の芝居では曽我兄弟の仇討に因んだ「曽我」の字が決まりとされていました。(金田栄一)

【写真】
『助六由縁江戸桜』三浦屋揚巻(中村雀右衛門) 平成29年3月歌舞伎座