しまばら 島原

東の吉原に対する西の島原。京都は下京区西部に位置した遊郭である。1641(寛文18)年、六条三筋町の遊里が島原に移され、そのときから大門と四周の溝掘が設けられて、本格的な廓になった。元禄期には、歌舞伎の「けいせい買いの狂言」や西鶴の浮世草子にその風俗が描かれた。現行では、『壇浦兜軍記』の阿古屋が京の花魁を代表する大役。「五条坂」の遊女という設定でも、描かれた風俗は島原を写したもの。花魁の道中も江戸吉原は「外八文字」、京の島原は「内八文字」。明治になって衰えてからも、毎年4月21日、廓中の全盛の太夫が盛装をきそって道中したのが島原道中として有名だった。その様子を軸に島原の揚屋風俗を描いた北條秀司の名作『太夫(こったい)さん』は新派の財産演目となっている。『仮名手本忠臣蔵』のお軽が身売りした祇園は今も茶屋町として面影を残すが、公許の遊郭ではなかった。(小宮暁子)

【写真】
島原遊郭の太夫道中(明治中期頃の絵はがき)。背景の大門(東門)は今もそっくり現存している。