助六由縁江戸桜 スケロクユカリノエドザクラ

観劇+(プラス)

執筆者 / 飯塚美砂

最長の一幕

口上でも述べられる通り、この『助六』は歌舞伎十八番のなかでももっとも古風な趣と、祝祭劇の要素を色濃く残している。舞台は三浦屋見世先のみだが、登場する人物はゆうに80人は超え、上演時間も2時間を超える。現在上演されている歌舞伎演目のなかでも大道具の転換なしの一番長い一幕だろう。つぎつぎ現れる個性的なキャラクターが織りなす豪華な舞台は、さながら本物の吉原に迷い込んだような錯覚に陥らせる。

実は曽我の五郎ここに注目

江戸時代、正月には曽我に関係する演目を出すのが通例であった。助六も曽我狂言の一つで、助六は実は曽我五郎、白酒売りは兄の十郎で、二人は身をやつして、親の敵と源氏の宝刀をさがしているという設定になっている。

江戸のアイドル、助六

“助六”と江戸の文化には並々ならぬ結びつきがある。まず助六の登場シーン“出端”に演奏される“河東節”は、江戸時代には蔵前の旦那衆の芸で、“助六”を上演する際は特別出演するのが慣例であった。その伝統を引き継いで、現在でも開演前の口上で「御簾内、河東節御連中の皆々様、なにとぞお始め下されましょう」と丁寧な礼がなされる。また、助六の蛇の目の傘、煙管は吉原から、鉢巻の紫縮緬、下駄は魚河岸から贈られる慣わしだった。助六が花道で鉢巻を指して軽く頭をさげるのはそれに対する礼意を表しているという。

河東節

江戸で生まれ江戸で発達したので“江戸節”ともいわれる浄瑠璃。今は河東節は「河東節保存会」の演奏家が伝えているが、旦那衆に限らず、長唄、常磐津、清元、竹本などの太夫や三味線方が河東節の修業もして、『助六由縁江戸桜』の連中にも多く参加している。河東節が芸の大学院と呼ばれる所以である。

出端(では)

主要な人物の登場に際しての演技で、元禄歌舞伎ではこの場面で丹前(たんぜん)や六法(ろっぽう)と言われる「歩く芸」を見せた。またその際に使われる音楽も出端という。現在、助六が花道でみせる美しい動きは、この元禄歌舞伎当時の流れを汲むもので、非常に古風で希少なものである。

いろいろな“助六”

『助六』の出端には浄瑠璃が演奏されるが、市川家が歌舞伎十八番として上演する際に使われるのが河東節。その曲名が「助六所(由)縁江戸桜」である。尾上家が上演するときは河東節が清元に替わり『助六曲輪菊(すけろくくるわのももよぐさ)』、片岡家が上演するときは長唄で『助六曲輪初花桜(すけろくくるわのはつざくら)』、松本家も長唄で『助六曲輪江戸櫻(すけろくくるわのえどざくら)』、澤瀉屋も長唄で『助六曲輪澤瀉櫻(すけろくくるわのいえざくら)』、大和屋なら常磐津で『助六櫻の二重帯(すけろくさくらのふたえおび)』と題名が変わる。

吉原の桜ここに注目

江戸一番の格式と規模を誇る遊郭吉原。それぞれの店でのもてなしばかりでなく、街をあげて季節ごとにさまざまなイベントが催された。また吉原仲の町のメインストリートには季節毎に花が植え替えられた。春には満開の桜並木が一日にして出現し、花が終わると一日にして撤去される。夢の里にふさわしい幻のような花であった。

五節句の衣裳

吉原一の花魁、揚巻の着る衣裳は素晴らしく豪華だ。まず、正月に欠かせない鏡餅や海老をつけた打掛に始まり、雛の節句にちなんで春の宴で屋外に張られた幔幕と火炎太鼓の打掛、俎帯は、端午の節句の鯉の滝登りや七夕飾り、水入りまでつく場合は重陽の菊の節句の菊の打掛と、五節句の衣裳を次々に披露する。


【写真】俎帯(左・鯉の滝登り / 右・七夕飾り)

吸付莨(すいつけたばこ)

伝統的な日本の喫煙方法としては、“煙管(キセル)”が使われた。細かく刻んだ莨の葉を小さく丸め、煙管の先の火皿に詰め、火種にかざしてそっと吸って火を付ける。これを“吸い付ける”という。吸い付けた煙管を相手に渡すのは、自分が一口飲んだ盃を渡すのと同じで、親愛の情を表す動作である。江戸時代には嗜好だけでなくおしゃれのアイテムとして、男女ともに喫煙を楽しんだようだ。

揚巻の悪態のつらね

つらねとは掛詞(かけことば)や物づくし、または悪態などで趣向を凝らした長台詞。言葉を連ねて、ポンポン調子よく述べ立てていく。揚巻のつらねは「慮外ながら揚巻でござんす、男を立てる助六が深間(ふかま=愛人)、鬼の女房に鬼神とやら、さぁ、これからは揚巻が悪態の初音」とはじまり、胸のすくような言葉が連なるので、お聴き逃しなく。

歌舞伎のコマーシャリズム

三浦屋はじめ、『助六』の舞台は実際の吉原をほぼ忠実に再現したものだ。舞台上には当時実在した店や商品が次々登場し、観客にまるで吉原にいるようなリアリティーを感じさせている。格子先の横につまれたのは吉原の有名な菓子屋「竹村伊勢」の蒸籠(せいろう)だし、うどんを出前してくる「福山」も実在の店。朝顔仙平に至っては、当時売り出したばかりの人気の煎餅、その姉や親族といって台詞のなかに盛り込まれているのも朝顔煎餅の姉妹商品の名前である。

蕎麦ではなくてうどんここに注目

くわんぺら門兵衛に助六がぶっかけるのはうどん。江戸ならうどんでなく“蕎麦”ではないのか、と思うかもしれないが、現在食されているような細長く切った蕎麦が一般に食べられるやようになるのは案外遅く、18世紀もだいぶ後半になってかららしい。それまでは江戸でもうどんが主流だった。

中国の故事にちなんだ股くぐりここに注目

「股ァくぐれ」と立ちはだかられて通人は、「“韓信(かんしん)の股くぐり”と出かけやしょう」と言って股くぐりをする。韓信は、中国前漢の劉邦の三傑の一人に数えられ国士無双とまで言われた人物だが、まだ浪々の暮らしをしていた頃、ならず者に絡まれ“股くぐり”を強要された。恥を忍ぶのは一時、志の有る身には取るに足らないことだと思い、人の嘲りも気にせず股をくぐった。このことから、大志の有るものは小さなことで争わず、恥辱も耐え忍ぶというたとえに使われるようになった。

水も滴るいい男 「水入り」

ごくまれに、助六が意休を斬る場面まで上演されることもある。通称「水入り」という場面で、意休を斬って追われる助六が、いっとき天水桶に隠れる。大きな天水桶には実際に水が張られ、助六を演じる役者はその水のなかに身を潜める。助六が入ると水がざぶざぶと舞台にこぼれる。出てくるときには、まさに水のしたたるいい男になるわけだ。