春興鏡獅子 シュンキョウカガミジシ

観劇+(プラス)

執筆者 / 阿部さとみ

遊女から御殿女中に

この作品は『枕獅子』(1742年(寛保二年)初演)に着想を得、歌詞をほぼそのまま写し、舞台を廓から大奥に、前シテの傾城(位の高い遊女)を御小姓に、後シテを能に準じた扮装に変更した。初演の九代目市川團十郎が歌舞伎や舞踊を格調高いものとすることを目指し、廓や傾城といった色事を連想させる設定を変えたのである。九代目のこうした考えは明治期の演劇改良運動(歌舞伎を新時代の紳士や淑女が鑑賞するのにふさわしい、上品で清潔な内容のものにすることを目指した運動)の流れに沿ったものでもあった。

九代目市川團十郎から六代目尾上菊五郎へ、そして…。

『鏡獅子』は九代目市川團十郎が初演した当初は不評であったが、大正3年に六代目尾上菊五郎が手がけて絶賛され、以降二十回以上の上演を重ね洗練大成。その後六代目の薫陶を受けた七代目尾上梅幸、十七代目中村勘三郎から七代目尾上菊五郎、十八代目中村勘三郎へと受け継がれ、今日では歌舞伎舞踊を代表する人気の演目となった。また五代目中村福助から六代目中村歌右衛門、七代目中村芝翫という女方による伝承もあり、六代目菊五郎系の弥生の藤色の振袖に対し、五代目福助系は黒地の振袖を用いるのが特徴。

毛振りさまざまここに注目

毛振りは能『石橋』にはない歌舞伎のオリジナル。毛の振り方には主に「髪洗い」「巴」「菖蒲打ち」がある。「髪洗い」は自分の長い髪を前に垂らして左右に振ること。女性が髪を洗う様に似ていることから名付けられた。「巴」は巴の文字のように長い毛を回す。右に回すと「右巴」、左に回すと「左巴」という。「菖蒲打ち」は大地に叩き付けるように毛を左右に大きく振ること。菖蒲打ちという昔の子供の遊びに由来する。

お鏡曳きの行事

お鏡曳きは江戸城で鏡餅を板に乗せて曳いて歩く行事のこと。当時は七日正月の前夜を年越しとし、七草のご祝儀として、各大名家から紅白の鏡餅が贈られ、その鏡餅を台所の下男や女中が馬鹿囃子に合わせて踊りながら鏡餅を曳いて回った。本来、御小姓は参加しないが、ここでは将軍のご所望により、鏡曳きの先導をする獅子頭を手にして踊る設定になっている。

弥生に獅子が憑依した?ここに注目

前シテの弥生と後シテ獅子の関連はわかっていない。獅子頭に引きずられていった弥生がどうなったのかも不明なままだ。古くは弥生に獅子が憑依したとする説などもあったが、近年では弥生と獅子の精とを別の役として演じることが多い。能『石橋』を基にした獅子の舞踊は、元は傾城や娘が激しい恋の思いから女の獅子の姿になるという形式だったのを、『鏡獅子』では強い恋の思いをカット、後を男の獅子とし、前シテと後シテの繋がりが薄められて、大きく異なる役柄を踊り分けるのが主眼の舞踊となった。芸の力が理屈を越えさせることに成功した好例で、ここに歌舞伎の面白さがある。

一人で二役の大曲

『鏡獅子』は歌舞伎舞踊の中でも最も有名な作品。歌舞伎を代表するものとして海外に紹介されるケースも多い。歌舞伎を知らない人でもなんとなく『鏡獅子』は知っているという例も良く聞く。見どころはなんと言っても、一人の演者が可憐な娘と勇ましい獅子という二つの極端に違う役柄を演じる点。ファンとしても好きな俳優の二つの姿を見られる嬉しい演目である。