観劇+(プラス)
和事(わごと)
“和”という字が示す通り、柔らかく、優しい感じの演技や演出のこと。元禄時代に上方で演じられるようになった。身分のある若者が遊興にふけって落ちぶれている、その若者が廓で女と戯れるという要素を含むものが多い。 役者の持ち味が重要な要素で、演じる俳優によって芝居の雰囲気や風情がかわるのも面白味の一つである。
やつし
身分の高い貴公子や裕福な商家の跡取息子が、トラブルに巻き込まれたり、遊興に身を持ち崩したあげく落ちぶれて放浪していること。またその役柄を指す。 『廓文章』の藤屋伊左衛門、『箱根霊験躄仇討(はこねれいげんいざりのあだうち)』の飯沼勝五郎、『敵討天下茶屋聚(かたきうちてんかじゃやむら)』の早瀬伊織と源次郎兄弟など。 乱れ髪にはかなげな様子が女子のハート直撃。
つっころばしここに注目
ツンとつつけば転んでしまうような軟弱な優男の役柄。若く見目も人もよいが、まったく世間というものを解っていない。デレデレと恋にうつつをぬかしていて頼りないことこのうえない。『廓文章』の伊左衛門や、『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』の山崎屋の若旦那与五郎などが代表格。 同じ優男でも、『伊勢音頭恋寝刃』の福岡貢のようなきりっと一本筋のとおった役どころは“ぴんとこな”という。
傾城買(けいせいかい)
廓でいい男といい女がじゃらじゃら、デレている様子を見せるジャンル。傾城は“傾国傾城の美女(一国一城をも滅ぼすもととなる美女)”というところから高級遊女を指す。初代坂田藤十郎が『夕霧名残の正月』『夕霧阿波鳴渡(ゆうぎりあわのなると)』などでこれを演じて大評判となり、演技を確立させたといわれている。
太夫
遊女たちの中でも最高位にランクされる傾城。幼い時から特殊教育を施され、美貌と教養を兼ね備えた太夫は、公家大名とも対等に付き合える格式を認められていたといわれている。吉野太夫、高尾太夫などの名妓は、数々の伝説を残し、芝居のモデルにもされた。元禄年間、大坂の廓新町に実在した夕霧太夫は、若くして亡くなると追善狂言が次々作られ上演された。庶民にとっても憧れの大スター、アイドルでもあった。
紙衣(かみこ)ここに注目
反古紙を貼り合わせて着物に仕立てたもの。歌舞伎では、貧しくて布の着物が買えないという情けない状況を表すアイテム。 しかし伊左衛門の着ている紙衣をよく見てほしい。なにやら文字が書いてある。これは夕霧太夫からの恋文を集めて仕立てた着物なのだ。真の恋などないといわれる傾城の、しかも最高位の太夫から、真実真心を込めて贈られた恋文を惜しげもなく使い作った紙衣は、いくら金銀を積んでも手に入れられるものではない。実はこの上なく贅沢な着物かも。
千畳敷(せんじょうじき)
舞台の御殿や座敷の襖をあけると、そこに大広間が広がっているように見える大道具。遠近法を駆使して描いた書割(かきわり。背景画)や、いく重にも立てた襖で奥行きの深さを演出する。
病鉢巻(やまいはちまき)ここに注目
ムラサキの根を染料として染めた紫色の縮緬地の鉢巻。歌舞伎では、これを額の左に結べば病人ということになる。『摂州合那辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』の俊徳丸のような本物の病人ももちろん締めるが、『廓文章』の夕霧はじめ『保名』の安倍保名や『お夏狂乱』のお夏など恋患いの人物も多い。長く下げた房が揺れるのがはかなげで色っぽい。『寺子屋』の松王丸の病鉢巻は、病をアピールするためだろうか。
七百貫目
江戸時代には金、銀、銅(銭)の三種の本位貨幣が流通していた。「江戸の金遣い」「上方の銀遣い」といわれるように大口の取引には江戸では金、京阪では銀が主に使われていた。銅銭は普段使いの貨幣である。銀一貫目というのは銀1,000匁のことで、銀700貫目なら700,000匁。一応公式レートでは銀60匁が小判1両に相当するので、小判では11,667両ほどになる。小判の価値は時代によって変動していて大体10万から5万円といわれているから、1両7万円で見積もってみても…8億円は下らない?! 「七百貫匁の借財負うてびくともせぬ」と嘯(うそぶ)く伊左衛門、実家の藤屋はどれだけお金持ちなんだろう。
阿波のお大尽
伊左衛門が夕霧との仲を疑って焼きもちを焼く“阿波のお大尽”。 『廓文章』のもととなっている『夕霧阿波鳴渡(ゆうぎりあわのなると)』では平岡左近という武士である。伊左衛門と夕霧の間にはすでに子供が生まれていて、平岡のもとに引き取られており、実の母である夕霧も乳母として引き取ろうと考えている。夕霧の人柄を見極めるために平岡の奥方が侍姿になって、新町を訪れ夕霧を指名して座敷に呼ぶが、それを盗み見た伊左衛門は、そんな事情は知らずにやきもちを焼くという件がある。『廓文章』ではもはやその話はないが、阿波のお大尽がかなりわけありなお客というニュアンスは残されているのだ。
上方歌舞伎、それぞれの伊左衛門ここに注目
現在、上方歌舞伎を代表する家といえば、成駒屋、山城屋(中村鴈治郎、坂田藤十郎の一門)と、松嶋屋(片岡仁左衛門の一門)。
明治から昭和初期、“浪花の顔”と讃えられた初代鴈治郎(成駒屋)は、自らのベストセレクション<玩辞楼十二曲>のなかに『廓文章』を加えたが、彼の吉田屋は若い者も一人しか出ず、座敷でも喜左衛門、おきさは早々に引っ込み、あとは鴈治郎の伊左衛門が夕霧と二人、しっとりと甘いやり取りをみせたそうだ。子供がいることも台詞の中に匂わせているのでかなり大人の風情である。
一方の片岡家(松島屋)では、子供のことにはふれず、二人はあくまで若い恋人同士という心持で演じるという。座敷でのやりとりも軽やかに進み、夕霧との口舌では太鼓持ちが出て夕霧のとりなしをする場合もある。千両箱が運び込まれると皆が祝って座敷に出、これからすぐお祝いの宴が開かれそうな華やかさである。古風さを演出して伊左衛門の花道の出の際、長い柄の先にろうそくを灯して役者を照らす<差出し>を使ったりすることもあるが、これは十一世仁左衛門がはじめたという。
上方歌舞伎は型よりもニンで見せるもの。両家とも先代、先々代のやり方を参考にしながらも、自分のニン、相手役のニンなどを考え、上演のたびに工夫が加えられる。
差出し(さしだし)
面明り(つらあかり)ともいう。長い柄の先に蝋燭をつけて主役俳優の近くに差し出して使う。 昔の芝居小屋は照明が暗かったので、花道の出などに後見が持って俳優を照らし、スポットライトのような役割を果たした。現在でも、古風さを演出してわざと場内を暗くし差出しを使う場合がある。