一つは源氏の武将梶原景時一家の騒動。長男源太は鎌倉一のイケメンだが、先陣争いに負けて勘当され、恋人と家を出ていくが、いざ出陣のときに大事な鎧が質入れされていて…。もう一つは義経に滅ぼされた木曽義仲の遺児と忠臣たちの物語。摂津の船頭一家の幼子が旅先で取り違えられ、替わりに連れ帰ったのが…。
鎌倉の梶原館では源平合戦に出陣中の惣領息子源太の誕生日祝の準備が進んでいた。源太の恋人の腰元千鳥に横恋慕している弟の平次は、仮病を使って出陣せず、執拗に千鳥を口説いている。そこへ戦場から平次の手下の軍内が帰ってきて、源太がまもなく帰国すること、理由は宇治川の先陣争いで佐々木高綱に後れを取ったためで、父景時は源太に切腹を命じる手紙を妻延寿に届けたと告げた。
そこへ鎌倉一の風流男と謳われている美男の源太が優美な装束で帰って来た。出迎えた母延寿が夫景時からの文を読む間、奥から現れた平次は兄に向かい宇治川の先陣争いの様子を問いかける。源太が高綱に負けたと聞いた平次は、自分が兄の首を斬ると斬りかかるが、逆に源太に取り抑えられほうほうの体で逃げていった。
源太は人払いして母に向かい、射手明神で父景時が過ちを犯した時、高綱が助けてくれた、その恩に報いるため、わざと先陣争いで勝ちを譲ったと真相を打ち明けて、切腹しようとする。延寿はそれを止め、源氏への忠義と父母への孝を尽くすのが武士の本分だと諭し、表向きには勘当し、古布子一枚の見すぼらしい姿で阿呆払いにする。それを見た平次は軍内と共に源太に再び斬りかかるが、源太は平次を懲らしめ軍内を斬り捨てた。延寿は千鳥も不義の罪で放逐し、源氏ゆかりの産衣(うぶぎぬ)の鎧を源太にそれとなく与えた。二人は母の温情に感謝しながら手を取って館を去っていった。
摂津(今の大阪府)の国福島の老船頭権四郎の家では前の聟の三回忌の法要が営まれていた。近所の人が孫の槌松が別人のようになったと問うので、権四郎は三井寺参詣の帰りに大津の宿に泊まったところ深夜に捕物騒ぎがあり、隣部屋の子と取り違えたと語り、他人の子を育てながら槌松の帰りを待っていると嘆く。
そこへ今の聟の松右衛門が梶原館から帰ってきた。松右衛門は権四郎から教わった逆櫓の立て方を説いたところ、大将義経の乗船の船頭に取り立てられた次第を仕方噺で語る。一家は大喜びで権四郎は好きな酒を飲み、松右衛門は一休みと奥に入る。
折から若い女お筆が松右衛門を訪ねてきた。嫉妬する娘およしを制して応対した権四郎は、お筆が大津の宿で子を取り違えた相手と知り、槌松が帰ってきたと大喜びする。ところが槌松の姿はない。聞けばその時の騒動で槌松は誤って殺された、権四郎の家に居るのは大事な若君であると語る。呆然とする権四郎とおよしに向かい、お筆は槌松のことは諦めて、若君を返して欲しいと頼む。この言い分を聞いて権四郎は激昂した。「エエ、町人でこそあれ孫が敵、首にして戻そうぞ」
奥の部屋の障子が開くと松右衛門が若君を抱いて泰然と座っていた。彼を見て驚くお筆を制し「その子を殺せ」と迫る権四郎に向かい、松右衛門は「今は是非もなし」と決心し「権四郎頭が高い」と一喝、この子は木曽義仲の嫡子駒若君、自分は義仲の家来樋口次郎兼光だと本名を明かした。呆れはてた権四郎とおよしに向かい、樋口は自分が河内の国に出兵している間に義仲は粟津で戦死し、お筆親子の奮戦にも関わらず御台の山吹御前も亡くなってしまった不運を嘆き、敵義経に復讐するためこの家に入婿したと語り、念願かなって義経の乗船の船頭になった喜びを訴える。
樋口はさらに思いがけず若君と再会出来た喜び、継子とは言え槌松が若君の身替わりになって忠義をたてた不思議な縁を述べ「これも誰ゆえ親爺さま」と権四郎に感謝したうえ、もし他の子なら決して許しはせぬが「大恩ある主君の若君を殺すことは出来ない、なにとぞ自分に忠義の道を貫かせて欲しい」と切々と訴えた。
樋口の誠心誠意の言葉を聞いた権四郎は「侍を子に持てばおれも侍」と納得し、お筆は若君を樋口に預けて帰って行った。権四郎は槌松の遺品を捨てようとするが、樋口は仏前に供えて供養することを勧め、権四郎は「南無阿弥陀仏」と再び涙をこぼす。
そこへ梶原から命じられた三人の船頭が逆櫓の技術を教わるためにやってきた。樋口は船を沖に漕ぎ出して「やっしっし、やっしっし」と漕ぎ出し漕ぎ戻す。と突然船頭たちが櫂を手に樋口に打ちかかってきた。梶原は松右衛門が樋口次郎と承知していて船頭たちに襲わせたのだ。樋口はからからと打ち笑い「おのれら風情の手に負えようか」と三人を投げ殺した。折しも鯨波の声が起こった。
樋口が門口の松に登って周囲を見ると「北は海老江、長柄、東は川崎、天満、南は津村、三つの浜、西は源氏の陣所まで」樋口を捕縛するための篝火が燃えていた。樋口が権四郎の在り処を尋ねると、およしは権四郎がどこかへ出かけたと言う。「さては訴人したか、飼犬に手を噛まれたか」と樋口は怒った。
智勇兼備の武将畠山重忠が権四郎に案内されてやってきた。権四郎は槌松(実は駒若丸)が前の聟の子で樋口の子ではないと重忠に訴えて助命の許しを得たと語る。樋口は若君の無事を知って権四郎に感謝し、重忠の温情に報いるため腕を後ろに回した。重忠は駒若丸に「父と言わずに暇乞い」をさせた。今も福島に逆櫓の松の旧跡は残っている。
勘当された源太と千鳥のその後の運命を綴ったのが四段目の「辻法印」「神崎揚屋」である。源太を養うため千鳥は神崎の廓に身を沈め、梅ヶ枝と名乗る遊女になった。折しも一の谷で合戦が起こり、源太は梅ヶ枝に預けていた産衣の鎧を取りにくる。しかし梅ヶ枝は、源太の揚代を作るため、鎧を質に入れてしまっていた。百計尽きた梅ヶ枝は、小夜の中山の無間の鐘の言い伝えを思い出し、庭の手水鉢を鐘に見立てて柄杓で打とうとした。その時二階から質受けに必要な三百両の金が降ってきた。客に化けていた母延寿の、思いがけない情の金であった。
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