観劇+(プラス)
三婆にはあらねども
皐月は歌舞伎国の婆のエリート「三婆」からはもれているが、なかなか骨のある老女。皐月の身を心配して訪ねてきた操、初菊に向かい「生死わからぬ戦場へ赴く夫を捨て、浮世を捨てた姑に孝行つくすは道が違う」としかる一徹ぶり。しかしそれを「常の気質とさからわず」と受け流すのは賢い嫁たち。
初菊の出自ここに注目
十次郎の許嫁初菊は赤姫の姿だが、これも歌舞伎国のプリンセス「三姫」たちと異なり、誰の娘かハッキリわからない。武智の嫡男の許嫁だから名のある武将の嫁なのだろうとは推測。手では持てない十次郎の兜を重ねた振袖に乗せて、懸命にのれん口に運び入れる姿が見せ場の一つになっている。
莟の花一つ
少年ながら莟の花にたとえられるイケメン十次郎は『鎌倉三代記』の三浦之助と同様な若衆姿だが三浦之助より初心な若者で、可愛らしく演じるという口伝がある。女形が扮した方が良いとも。
湯の辞儀は水とやら
一夜の宿をかりに訪れた旅僧(実は久吉)は気の軽い風情。皐月にたのまれれば、袖をたくし上げて風呂を沸かし、先に入れとすすめられれば「譲りあっていては沸かした湯が冷めるとやらいいますから」と悪く遠慮しないところなど好感がもてる。
夕顔棚ここに注目
光秀の登場を 夕顔棚のこなたより… とした浄瑠璃作者は優れ者だ。朝顔のように色彩豊かな花ではなく、真っ白な夕顔が薄暮に大輪の花を開くさまは、光秀が笠をゆっくり上げて初めて観客に顔をみせる姿にふさわしい。よく考えついたと感心する。光秀第一の見せ場で笠の上げ方だけでも役者によっていくつかの型がある。
蛙の鳴く音
光秀の登場したこの場の間中、舞台のそこここから聞こえる蛙の声。暑くるしい夏の夜を連想させるすぐれた演出。蛙の声の擬音は現在でも江戸時代と同じく、赤貝の殻をこすりあわせて表している。
口説(くどき)
くり返し説く意味。心のなかを訴える叙情的 詠嘆的な詞章と旋律が特徴で、女形の見せ場の演技。立役の“大落し”に匹敵する。この場では母皐月をあやまって手にかけた光秀に対して、妻の操がなげく時に行われる。
大落し(おおおとし)ここに注目
義太夫狂言の一幕中、悲劇が最高潮に達して悲嘆の涙にくれる場面の竹本の語りや三味線の弾き方を表すのが「落し」「中落し」もある。自身が誤って手にかけた母皐月。戦場からかけもどった瀕死の息子十次郎。二人の死を眼前にして、さすがの勇将光秀もはらはらと涙を落とす。この場の光秀は「大落し」の典型。