黒塚 クロヅカ

観劇+(プラス)

執筆者 / 阿部さとみ

鬼女の女心ここに注目

『黒塚』の鬼女は長い髪を丈長という髪の装飾具で結んでいる。歌舞伎の鬼女が丈長をつけているのは珍しい例で、鬼になっても女であるということを忘れていないのがゆかしい。大きく見得をしないことも特徴だという。その他、中の巻、老女の姿で背負っていた薪に鬼百合の花が一輪添えてあるのも風情があり、救われた喜びから、花を愛でる気持ちになった老女の心がさりげなく示されている。心憎い演出である。

月はどっち向き?

一面の芒の原に大きな三日月が出る場面が中の巻。この三日月の形には二種類ある。左下が弧を描く下弦の月が初演以来の基本型だが、三代目猿之助(二代目猿翁)は平成5年あたりから右下が弧を描く上弦の月にし、市川右近もそれを踏襲している。双方共に月に寄り添い、月に抱かれている感があるが、微妙な印象の違いが楽しめる。

ロシアンバレエここに注目

月下の老女の踊りにはロシアンバレエの趣が取り入れられている。初演の二代目市川猿之助(初代猿翁)が、若い頃に海外で見たロシアンバレエの「つま先で踊る」技法を用いたという。つま先で踊ることで老体が浮き立つ風情に、喜びに溢れる心が効果的に表現される。また、強力が命からがら逃げる足使いには、コサックダンス風の表現を使うなど、新しい舞踊を模索した時代背景も窺い知れる。

「見るな」のタブー

世界各国の神話や伝説のモチーフに、「見てはいけない」と禁じられたにもかかわらず、それを見てしまったがために、悲劇(多くの場合離別)になるか、恐ろしい目に逢うという類型がある。ギリシャ神話では「パンドラの箱」、日本の神話では「亡くなったイザナミをイザナギが黄泉の国へ迎えに行く話」、民話では「鶴の恩返し」などが代表的。アニメ映画「千と千尋の神隠し」もそのパターンを持っている。

鬼婆の伝説

安達ヶ原に棲む老女が旅人を喰らっていたという鬼婆伝説には様々な広がりがある。一夜の宿を求める祐慶という僧、見るなといわれた部屋には死体の山、僧が所持した観世音菩薩像の功力により鬼婆が解脱するというのは宗教勧化の物語。鬼婆の伝説は数多く、妊婦を殺したところ、それが過去に生き別れた実の娘だったと知れるという因果話まであり、歌舞伎でも上演される『奥州安達原』はこの因果話をモチーフにしている。

筝と尺八ここに注目

この作品の音楽的特徴は、長唄に加えて、筝、尺八が入ること。他の歌舞伎舞踊ではなかなか見られない布陣である。中の巻、陸奥の秋の美しさ、澄んだ夜空に照る月、そして積年の憂いが晴れた老女の心、それらを描写する長唄に添えられる筝、尺八の音色がどこか物悲しく、風雅な情緒を引き出している。箏曲・唯是震一、中島靖子、尺八・山本邦山といった名人社中による素晴らしい演奏と名演技が相乗効果となって、より一層魅力的な作品が作り上げられている。