梅雨小袖昔八丈〜髪結新三 ツユコソデムカシハチジョウ〜カミユイシンザ

観劇+(プラス)

執筆者 / 小宮暁子

人情噺『白子屋政談』

幕末から明治期に活躍した初代春錦亭柳桜(三代目麗々亭柳橋)が得意にした人情噺。本作はこれを脚色したもの。実説は1727(享保12年)江戸新材木町の材木商白子屋の妻常、娘お熊、手代忠七らが下女をそそのかしてお熊の聟又四郎の殺害をはかったというもの。露見して関係者が罰せられたなか、江戸中引廻しの上獄門になったお熊が絶世の美女だったため芝居・読物などに多く脚色されたもののひとつ。最後は大岡越前守の名裁きで一件落着となる。

廻りの髪結

店を持たず道具一式を“鬢盥(びんだらい)”という手提げ箱に詰めて得意先を廻る出張専門の髪結。忠七を話に乗せながら髪をなでつけ、仕まいに髷の刷毛先(はけさき)を小ばさみで揃えるなど職人の技を舞台でみせ、新三役者の細かい技巧が観客をうならせる。元結を使った片襷など誠にいなせで、なよっとして頼りない忠七を見限って、お熊が惚れそうな新三が女性客の熱い視線をあびている。

傘づくしここに注目

永代橋川端の場で、新三が忠七を傘でなぐって立ち去る折のせりふに「傘(からかさ)、相合傘、番傘、柄(え)、油ッ紙、白張」等々、傘の種類、素材などがあてはめられている。歌舞伎の洒落である。生世話(きぜわ)と称される当時の現代語のせりふだが、○○づくしのあたりは時代にうたってリズミカルに気持ちよく、せりふを印象づける。傘づくしのあと、新三は片手でさっと傘を開いてスタスタと歩みさる。

二役

一人の俳優が一演目のなかで二つの役を兼ねて演じることがある。人気俳優が殺されたままで終わるのは、俳優も観客も気分が悪いだろうと、殺された後、颯爽と別の役で登場することもあった。初演の新三役五代目菊五郎は、殺されたあと、大岡越前守に扮して溜飲を下げた。初演の源七は「手前味噌」を書残した三代目中村仲蔵だが、源七の他に家主長兵衛を演じた。新三にやり込められる男としたたかにやり込める男の落差、近年では忠七と長兵衛の二役替りがあった。優男の忠七と新三の上をゆく長兵衛。その代り身の鮮やかな面白さ。三代目市川左團次、十四代目守田勘弥。どちらも腕の確かな役者たち。現在なら誰が演じてくれるだろう。

初鰹ここに注目

「目には青葉、山ほととぎす、初鰹」の句は有名だ。江戸っ子は女房を質に置いても食べたなどというが、湯帰りの新三は三分も出して初鰹を買う。家賃を二ヵ月も溜めている新三だが、お熊の身代金をあてに気が大きくなっている。三分は一両の四分の三。庶民には大金だ。三分あれば単衣を買うと言う相長屋の男は鰹の頭を貰って大喜び。家主長兵衛も自分では買わずに新三から片身をせしめる。鰹売の威勢の良い売り声とともに五月の風が吹きぬけてゆくような場面。

手拭浴衣

髪に房楊子を差した湯帰りの新三が身につけているのが手拭浴衣。手拭を何本か縫い合わせて仕立てた浴衣だ。昭和の頃にはまだ着ているお年寄りを見かけたことがある。手拭は方々の花柳界から貰って作るのが例とか聞くが、初演から当時評判の深川の料理屋“ひら清”のものは必ず入れるのが今でもお約束。

裏長屋のガーデニング

湯帰りの新三は下剃の勝奴と上手の植木棚に眼をとめて一息ついている。万年青(おもと)に如露で水をやる勝奴。猫の額ほどの空地にも緑をめでている下町のくらしがのぞける場面だ。盛夏には八幡様の草市で買った朝顔の鉢が並ぶのだろう。

二つ名のある親分さ

落目になった弥太五郎源七の姿に創作意欲を刺激された久保田万太郎は『弥七五郎源七』という脚本を書き、文学座が上演した。現在の上演は一太刀浴びせたところで幕となるが、黙阿弥原作では、源七が新三を殺し捕えられる。また、誤って聟又四郎を殺したお熊、源七の罪をかぶった忠七など、大岡裁きでめでたしめでたしになる。
「永代橋」と「新三内」の間に、お熊の引取を、善八が源七に頼みこむ「乗物町源七内」の場があるが現行の上演では割愛されている。

入墨(いれずみ)と刺青ここに注目

新三の腕の、二本の入墨は前科者の印。勇み肌の背中に彫られた、美しい絵柄の刺青(しせい=ほりもの)とはちがう。江戸では腕に二本線と決まっていたが、国によって形状と場所は違っていたらしい。入墨の刑が江戸で始まったのは、1720(享保5)年から。