加賀見山旧錦絵 カガミヤマコキョウノニシキエ

観劇+(プラス)

執筆者 / 鈴木多美

「加賀騒動」とは

延享(1744~1748)の頃、加賀藩(現在の石川県)の大守前田吉徳(よしのり)の家臣大槻伝蔵は足軽出身でありながら、吉徳に目を掛けられて出世するうちに前田家の横領を企んだ。伝蔵は吉徳の側室お貞の方と密通し、二人の間の子を家督に付けようと、腹心の野路井(のじい)又助に吉徳を殺害させた。次に伝蔵は、家督を継いだ長男宗辰(むねとき)を毒殺。次男重熙(しげひろ)が家督を継ぐとこれも殺そうと図るが、忠臣前田対馬守らによって悪事が露見し、1757(宝暦7)年に一味は処刑された。

実際に起きた「草履打」事件

1724(享保9)年、島根県石見(いわみ)の国浜田城主の松平周防守康豊の江戸邸で、殿のお手付きの側女おみち(21歳)が、御台所付きの局の澤野(61歳)の上草履を間違えて履いてしまった。怒った澤野はおみちに草履を投げつけたので、口惜しがったおみちは自害した。事件はこれだけでは収まらず、おみちの部屋付きの侍女さつ(24歳)が、おみちを侮辱した局の澤野を殺害した。

「仮名手本忠臣蔵」と、尾上・岩藤・お初ここに注目

「尾上部屋」で、お初は尾上に「仮名手本忠臣蔵」によそえて短慮をいさめる。この芝居を見た観客も、尾上を「仮名手本忠臣蔵」の塩冶判官、岩藤を高師直に、お初を大星由良之助になぞらえて見ていた。

庶民には神秘的な、奥女中たちの生活

「局(つぼね)」は武家の奥向きの総取締りに当たる。これを補佐するのが中老(ちゅうろう)で、その部屋で身の回りの世話をするのが召使い。「試合」では花の丸紋模様の金襖、「草履打」では火焔太鼓模様の銀襖という豪華な大広間など、庶民は見る事が出来ない武家の奥御殿の有り様を描いている。この狂言は三月に宿下がりする御殿女中たちを呼び込もうと、春の季節に度々上演された。

主要な三人の役柄の相違ここに注目

中老の尾上は、岩藤の意地悪にひたすら辛抱する誠実さと品格が求められる。一方の岩藤は、上品で凄味と色気の混じる手強い悪役で、立役が加役(自分の持ち役以外を勤める)として演じる事が多い。岩藤付きの腰元たちは立役が女方を勤めるので、どことなく異質でグロテスクなのが面白い。これに対してお初は、主人思いの利発な若い娘の役柄で、売り出し中の若手女形が演じる。

「だんまり」

「烏啼き」で「だんまり」模様となる。「だんまり」は「暗闘」とも書く。闇夜の中で主要人物がお互いを探り合う様子を見せる、歌舞伎独特の演出形式である。まわりが見えない心で演じるスローモーションの様式美が見どころ。