天衣紛上野初花~河内山と直侍 クモニマゴウウエノノハツハナ~コウチヤマトナオザムライ

作品の概要

執筆者 / 金田栄一
演目名 天衣紛上野初花~河内山と直侍
作者 河竹黙阿弥
初演 1881(明治14)年3月 新富座
概要 七五調の名せりふと痛快無比な人物像、そこに描かれる絵画美と情緒。すでに明治という時代を迎えた中で作者河竹黙阿弥が、江戸歌舞伎の集大成といえる芝居に仕上げた、数ある黙阿弥作品の中でも筆頭に数えられる人気演目である。黙阿弥と同時代に活躍した講釈師が、幕末に世を騒がせた悪党列伝として語った「天保六花撰」を題材にしている。同じ題材での最初の上演は『雲上野三衣策前(くものうえのさんえのさくまえ)』で、1874(明治7)年10月の河原崎座で九代目市川團十郎の河内山宗俊で初演、これを大幅に増補改訂したのが本作である。前作ではほぼ團十郎の一人舞台であったものが、五代目尾上菊五郎、初代市川左團次と「團菊左」揃い踏みの新富座上演に合わせて、登場人物を増やし工夫が凝らされて見事な秀作に生まれ変わった。
1823(文政6)年に没した実在の河内山宗春は江戸城で坊主衆を務め、幕臣の身でありながら博徒などと交わり不行跡が甚だしかったため逮捕投獄の上、牢死したとされる。またもう一方の主人公、片岡直次郎のモデルについても、猶次郎あるいは入墨甚五郎といった複数の人物の名が挙げられている。猶次郎の墓は、恋人であった三千歳が建てたという。
この演目の前半部分、すなわち河内山宗俊のくだりを上演する場合の外題は『天衣紛上野初花』であるが、後半部分、直次郎と三千歳の挿話のみ上演の場合は『雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)』が使われる。場面の雰囲気や味わいを見事に伝える美しい外題である。演奏される清元は「忍逢春雪解(しのびあうはるのゆきどけ)」(通称「三千歳」)と題される清元の代表的名曲。

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[左から]大口抱三千蔵(中村時蔵)、片岡直次郎(尾上菊五郎) 平成22年11月新橋演舞場

●ページ公開日 平成29年5月19日
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