元禄忠臣蔵 ゲンロクチュウシングラ

作品の概要

執筆者 / 金田栄一
演目名 元禄忠臣蔵
作者 真山青果
初演 「大石最後の一日」1934(昭和9)年2月 歌舞伎座
         ~「泉岳寺の一日」1941(昭和16)年11月 東京劇場
概要 「赤穂浪士討入り」にまつわる物語だが、歌舞伎の名作『仮名手本忠臣蔵』とは全く異なり、昭和の時代に書かれた「新歌舞伎」すなわち「戯曲」という劇文学の歴史的大作であり、作者の真山青果の代表作である。青果は『将軍江戸を去る』『新門辰五郎』『江戸絵両国百景~荒川の佐吉』などの優れた作品を残したが、いずれも確固たる信念を持った人物像が描かれ、美しい日本語で見事に綴った説得力のあるせりふは、常に観客を感動に導いている。
『元禄忠臣蔵』は記録にある限りの史実に基き、さらに作者の歴史観や人間観が深く掘り下げられ練り上げられて、極めて文学性の高い作品となっているが、一方で、歌舞伎の持つ娯楽性は少ないといえよう。内容も事件の発端である「松の廊下の刃傷」や、復讐である「吉良邸討入り」そのものの場面は登場せず、その周辺や裏側で様々な人物がそれをどう捉え、どのように行動していったかという描き方に終始している。
全十編に及ぶ超大作だが、まず最後部分にあたる「大石最後の一日」が1934(昭和9)年に二代目市川左團次により初演された。その好評を受けて翌年1月東京劇場で、第一編にあたる「江戸城の刃傷」と「第二の使者」からの連続上演がスタート、同年4月同劇場で「最後の大評定」、1938(昭和13)年4月明治座にて「吉良屋敷裏門」「仙石屋敷訴え」、同年11月に歌舞伎座で「南部坂雪の別れ」、1939(昭和14)年2月東京劇場で「仙石屋敷十八ヶ条申開き」、同年4月歌舞伎座で「伏見撞木町」、1940(昭和15)年1月東京劇場の「御浜御殿綱豊卿」まで左團次で上演。左團次没後、1941(昭和16)年11月に最終作「泉岳寺の一日」が二代目市川猿之助(後の初代猿翁)により上演された。また1941年から3年間にわたり劇団前進座によって連続上演されている。溝口健二監督による映画化(前・後編 1941~1942年)もされている。しばしば通し上演がなされるが、全編の上演は1日では不可能。2006(平成18)年には国立劇場が3ヶ月かけて全編を上演している。

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[左から]乙女田娘おみの(片岡孝太郎)、堀内伝右衛門(坂東彌十郎)、磯貝十郎左衛門(中村錦之助)、大石内蔵助(松本幸四郎) 平成26年6月歌舞伎座

●ページ公開日 平成29年3月22日
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