鬼一法眼三略巻 キイチホウゲンサンリャクノマキ

観劇+(プラス)

執筆者 / 金田栄一

弁慶は母の胎内に七年

近年の上演では出てきませんが、二段目までの主人公は弁慶です。弁慶の母は身籠って七年経っても出産せず、清盛の命令で殺された母の切り口から生まれ出たのがすなわち後の弁慶とされています。父の名は弁真、そして生まれたその子を預かり書写山で鬼若丸として成長させた僧が性慶阿闍梨(せいけいあじゃり)、父の名と師の名を取って弁慶と改めたことが、この段までに描かれます。なお鬼次郎の妻・お京は弁慶の姉という設定になっています。

兄弟が敵味方ここに注目

吉岡三兄弟の鬼一、鬼次郎、鬼三太のうち長兄の鬼一だけが平家方となり、兄弟で敵味方になるというのは後の『菅原伝授手習鑑』の梅王丸、松王丸、桜丸の三兄弟と重なり、またその鬼一が源氏に心を寄せているというのも、『菅原』の松王丸が敵側の藤原時平に仕えながらも我が子を犠牲にして菅丞相の旧恩に報いるというあたりとよく似ています。そういったところから、この作品が『菅原』の先行作品という見方も古くからされています。

名優とはこういうものここに注目

明治の名優・九代目市川團十郎の鬼一、五代目尾上菊五郎の虎蔵に七代目市川中車が智恵内を勤めたとき、智恵内が虎蔵を打つところで團十郎から毎日「なってねえ」といわれ、いくら工夫してもダメ、尋ねても「考えてみろ」というばかり。困った中車が菊五郎のところへ相談に行くと「私は後ろ向きで見えないが、肘(ひじ)が肩より上がってはいませんか」、つまり打ちたくない主人を打たねばというところ、なるほどと肘を低くしてみると今度は何もいわれず、恐る恐る團十郎の楽屋へ行くと「寺島(菊五郎)に聞いたろう」とひと言。誠に恐れ入りましたという、これは有名なお話。

新歌舞伎十八番の内『虎の巻』

「新歌舞伎十八番」というのは、七代目團十郎が制定した「歌舞伎十八番」に倣って九代目團十郎が制定したものと説明されますが、すでに七代目自身がその構想を持ち、存命中に二つの演目すなわち『虎の巻』と『蓮生物語』を新歌舞伎十八番として制定しています。この『虎の巻』がすなわち「菊畑」の書き替えで、後半で能の様式を取り入れた松羽目の舞台に謡を入れていますが、七代目の初演以降は九代目が二度ほど演じているのみです。

ちらりと見せる本心ここに注目

大蔵卿の作り阿呆は最後のところでどんでん返しになる面白さです。それ以前に本心を見せて「底を割る」ようなことをしてはいけませんが、わずかに一か所ちらりと本心を見せてもいいところが「檜垣」の幕切れで花道を入るところです。花道七三に立った大蔵卿が、物陰からじっと見送っている鬼次郎と目が合いパラリと檜扇を開いて顔を隠し、ここでわずかに本心を見せます。これは主に初代中村吉右衛門のやり方で、六代目菊五郎は檜扇で顔を隠すこともせず本心も見せず、これは鬼次郎の顔を知るはずがないのだから隠す必要がないという解釈、逆に十三代目守田勘弥などはもっとはっきり目をギョロつかせたという記述もあります。

「死んでも褒美の金が欲しい」

八剣勘解由が大蔵卿に討たれてその断末魔に「死んでも褒美の金が欲しい」と述懐します。これは元々の浄瑠璃にはなくあくまでも後の歌舞伎の工夫ですが、いかにもこの人物の卑しさ、また端敵という役柄の特質が表れていて、ある種の名せりふといえるでしょう。この役との対比で、大蔵卿の人間としての位の高さが際立ちます。