仮名手本忠臣蔵 カナデホンチュウシングラ

観劇+(プラス)

開幕10分前には席に着いている

どんな芝居でも同じですが、特に『仮名手本忠臣蔵』は幕開きに遅れないように。10分前には座席に着いていること。それは開幕前の「口上人形」と、それに続く幕開きの荘重な演出を味わってほしいからです。

口上人形

幕開きに先立ち、定式幕の前にちょこんと現れる口上人形は『仮名手本忠臣蔵』大序にしかない楽しみです。裃をつけ、ひょうきんで愛嬌のある人形が「とざい、とーざい」と大声で挨拶し、おかしな身振り手振りを交えて「役人替名」(やくにんかえな=配役)をのべます。見ているだけでホンワカとした気分になり、観客の心を日常の緊張からお芝居の世界へと、ごく自然にいざなってくれます。

「大序」の幕開き

口上人形が引っ込むと「チョンチョン」と柝が打たれ、「ピー!」という能管の響きとともに、荘重な「天王建ち下り端」(てんのうだちさがりは)という鳴物にかかります。能管と〆太鼓による身の引き締まるような演奏とともに、ゆっくりと定式幕が引かれていきます。この序幕を「大序」といい、この「天王建ち下り端」はここでしか演奏されません。幕開きの柝も、この鳴物に合わせて、四十七回打つのが決まりです。

人形身(にんぎょうみ)

幕がゆっくりと開いていくと、はじめに鎌倉八幡宮の大銀杏の、鮮やかな黄色い葉が目に入ってきます。そして徐々に幕の開け方が早くなり、舞台面がすっかり現れると、登場人物がまるで魔法にかかって長い眠りについているように、じっと俯いて目を閉じ、黙って居並んでいます。これを人形身といい、『仮名手本忠臣蔵』がもともと人形浄瑠璃から始まったことへの敬意を表しているといわれます。竹本の重々しい太棹三味線の演奏で太夫が語りはじめると、舞台裏から「とーざーい、……」と東西声がかかります。そして竹本が登場人物の名を次々と語るのに合わせて、一人ずつ顔を上げ、生き返っていきます。

様式性と儀式性

歌舞伎は江戸三百年の太平の世に、独自の様式美を完成させました。それは世界のどの国にもないものです。その魅力を味わうことも、『仮名手本忠臣蔵』を観る醍醐味と言えましょう。「大序」のみならず、三段目の「進物場」「刃傷」、四段目の「判官切腹」など、完成された様式美がたっぷりと詰まっています。かつて英国での歌舞伎公演で四段目「判官切腹」が上演されたとき、その舞台を「正式な晩餐」に喩えて絶賛した批評がありました。ゆっくりと、しかし一瞬たりとも緊張の糸を切ることなく、粛々と進行するサムライの切腹の儀式。その儀式性を活かして人間の尊厳を描ききるには、俳優の卓抜した技量がなくてはなりません。すぐれた歌舞伎俳優だけが様式の力を借りて、日常をリアルに描くだけでは決して表すことができない大切な「何か」を表現することができるのです。