隅田川続俤~法界坊 スミダガワゴニチノオモカゲ~ホウカイボウ

観劇+(プラス)

執筆者 / 金田栄一

お家の重宝ここに注目

歌舞伎のお家騒動の中に必ずといってよいほど登場するのがお家の重宝。宝刀や名鏡、名香などその品目は様々ですが、多くの場合それが紛失したためにお家が断絶、お家再興のためには是が非でも取り戻さねばならない品として、物語のかなめの役割を担っています。この演目では「鯉魚(りぎょ)の一軸」すなわち鯉の図の掛け軸で、それが何故またどれほど大切なものかは、なかなか観客には測り難いところでしょうが、そこが歌舞伎特有のお約束です。

「お染久松」の手法

おくみと要助は、先行作品の『色模様青柳曽我』では、浄瑠璃や芝居で人々に大変に親しまれていた有名キャラクターのお染久松でした。人気のお染に惚れた破戒僧大日坊と、久松の許嫁の霊が合体して、二人をおびやかすという手法で観客を引きつけたのです。題名に曽我とあるように、曽我の世界の物語として書かれ、大日坊は景清の伯父で、景清に殺されてしまうことになっています。 これを、上方で四代目市川團蔵が上演する際におくみ要助、法界坊と役名を変えましたが、團蔵はそのまま江戸でも上演し、これが今日までつづいています。

隅田川と向島

向島の地名は隅田川の向こう側を指し、「川向こう」ともいわれました。江戸の人々にとって手近な郊外の行楽地であり、隅田川堤を墨堤(ぼくてい)と呼んで、春の花見や夏の夕涼みなど、風雅を愛する人々にとって特別の土地でした。同時代にパリの市民がセーヌ川沿いの郊外にピクニックに行き、川遊びや野外の食事、料亭での昼食を楽しんだのが印象派の絵に多く描かれたように、向島界隈の行楽の風景も数々の浮世絵に描かれています。江戸料理の代表であった八百善や大七などがあり、グルメの聖地でもありました。言問(こととい)の渡しは『伊勢物語』の「いざこと問わん都鳥……」の歌で知られ、渡しの先が三囲神社で、堤の向こうに頭だけだした鳥居が有名でした。すぐ先の長命寺の桜餅も名物でした。その上流に能の『隅田川』の梅若丸を祀った梅若塚のある木母寺(もくぼじ)があります。人買いに拐かされた梅若丸を探して都からはるばる旅してきた母が、渡し舟の船頭からわが子がその川岸で力尽きて亡くなったと聞き、その塚の前で悲嘆にくれるという物語です。『伊勢物語』と『隅田川』に共通する“東の果て”のイメージは、江戸の人々にとって馴染みの歌物語であり、近松門左衛門の『雙生隅田川』で梅若の双子の兄弟松若が生まれ、四世鶴屋南北の『桜姫東文章』で姉の桜姫が生まれ、歌舞伎や浄瑠璃に隅田川物の世界が形成されていきました。その木母寺のさらに上流が沈鐘伝説で知られた鐘ヶ淵です。隅田川と向島の地は、和歌から俳句へ、能から歌舞伎へ、絵巻物から錦絵へと、江戸文化の爛熟の中で歓楽と郷愁、夭折と水辺の霊魂のイメージを増殖させてきたのです。

おうむ(鸚鵡)ここに注目

「おうむ」というのは、ある役の人物が言ったせりふあるいはしぐさを、別の人物がそっくり真似て可笑しみを表わす演出法。この演目では、おくみに「えんこしなはれ。とどしなはれ。胴体四つに折んなはれ」と言い寄る番頭や法界坊のせりふを、幼い丁稚がそっくり口真似するところが大変におもしろく、ここで客席も一段と和みます。

「しめこのうさうさ」

番頭の長九郎が暗がりの中でおくみを待ち伏せして縛り上げ、用意しておいた駕籠に押し込めて、駕籠を荒縄でぐるぐると巻きながら「しめたぞしめた、しめこのうさうさ(〆子の兎さ兎さ)」と囃し立てます。これは「しめた」という言葉に、「兎をうまく仕留めた」という言葉を掛けたもので、意味は単に「うまくいったぞ」といったところでしょう。この場ではさらに道具屋の市兵衛が桜餅の籠を駕籠に見立て、長九郎と同様に紐をぐるぐると巻き付けて「しめたぞしめた」という、おうむの演技がここでも取り入れられています。

実際の法界坊

近松が1720年最初に登場させた法界坊は架空の人物でした。しかし時代が下って、実際に釣鐘建立の勧進をして歩き、吉原の遊女たちに功徳を説いて寄付を募った法界坊という僧が現われました。法界坊は近江の上品寺の鐘建立のため江戸で托鉢し、鐘を地車に乗せ江戸から近江へ運びました。1768(明和5)年のことといい、当時かなり有名な話題になったそうです。現在も鐘は上品寺に残っています。 まじめな勧進僧の姿が芝居に取り入れられたときに、姿はそのまま、実は破戒坊主として人気が出たのですから、なんとも皮肉なものです。

双面(ふたおもて)と荵売り

大喜利の『双面水照月(ふたおもてみずにてるつき)』には、おくみそっくりの亡霊が現われます。独立してこの場面だけ上演されることもあります。同じ姿の人物が二人登場する謡曲『二人静』を先祖とする「双面」は、歌舞伎では同じ姿が二人出るばかりでなく、男女の亡霊が一つの姿に合体するという趣向が重なります。片身は女、もう一方は男の所作という複雑で高度な演技で観客をまどわします。両性具有や二重人格などと解説されることもあり、海外でも評判を取る歌舞伎独特の手法です。『色模様青柳曽我』の所作事『垣衣恋写絵(しのぶぐさこいのうつしえ)』で初代中村仲蔵の大日坊が野分姫の霊と合体してお染の姿で現れ、観客を惑わせた姿が本作品にも受け継がれ典型となって今日にいたります。道成寺のように、押戻しが登場して怨霊と対峙して幕となることもあります。 また荵売りの姿も当初から使われ、この時分よほど市中で流行っていたものと思われます。

平成中村座の「法界坊」ここに注目

1999(平成11)年11月、待乳山聖天下の隅田公園に平成中村座が誕生したおり、こけら落としに『法界坊』が上演されました。いわば法界坊の地元での上演です。 串田和美演出の『法界坊』では戯曲の読み直しが行われ、登場人物の役名や関係性が異なります。永楽屋が原作通り権左衛門と男になり、法界坊になぶり殺しにされる残虐な演出が取り入れられたほか、男女合体の幽霊が世界一低い宙乗りで客席を飛ぶなど、恐怖と笑いが際立つ舞台となって再演を重ねました。2007(平成18)年のニューヨーク公演では、法界坊が英語によるモノローグで内面や状況を語りスピーディーな進行になりました。ニューヨークポスト紙が“guilty pleasures of comic kabuki”と評しています。2008(平成19)年の浅草公演はシネマ歌舞伎として公開されています。