盟三五大切 カミカケテサンゴタイセツ

作品の概要

執筆者 / 金田栄一
演目名 盟三五大切
作者 四世鶴屋南北
初演 1825(文政8)年9月 江戸中村座
概要 初演当時の中村座では前興行で『仮名手本忠臣蔵』と『東海道四谷怪談』を上演して2か月間の大当り大入りを取っており、この作品はその続編として続けて上演された。しかし人気の三代目尾上菊五郎が大宰府参詣のため退座したことが大きく、五代目松本幸四郎、七代目市川團十郎、二代目岩井粂三郎(六代目岩井半四郎)が奮闘し「近年になきおもしろき作」といわれながらも入りは悪く、三週間足らずで閉幕している。
先行作品となったのは1794(寛政6)年上方で初演された並木五瓶作『五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)』で、元文年間に起きた薩摩武士早田八右衛門が遊女菊野ほかを惨殺した曽根崎五人斬りの事件を題材に書かれたもの。並木五瓶は同年末に契約金三百両で江戸に下り、翌年正月に江戸で『五大力恋緘』を披露。舞台を江戸深川に直し、遊女菊野を粋な深川芸者の小万に替えての上演だった。このとき41才の鶴屋南北は立作者並木五瓶を補佐している。1806(文化3)年には五瓶が書き替えた『略三五大切(かきなおしてさんごたいせつ)』を上演。さらに19年後に今度は鶴屋南北が書き替えたのが『盟三五大切』である。南北71歳の作。1840(天保11)年5月の河原崎座で、外題を改め再演されたが、この時も不入りと伝えられている。
以後久しく上演が途絶え、1926(大正15)年に新国劇での上演例があるが、歌舞伎では1976(昭和51)年8月に国立小劇場で尾上辰之助(三代目松緑追贈)、片岡孝夫(現・仁左衛門)、坂東玉三郎で上演、これを機に再評価され、たちまち人気演目となった。


●トップ画面・タイトル写真
[左から]船頭笹野屋三五郎(尾上菊五郎)、芸者妲妃の小万(中村時蔵)、薩摩源五兵衛(片岡仁左衛門) 平成20年11月歌舞伎座

●ページ公開日 平成28年9月29日
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