鳥辺山心中 トリベヤマシンジュウ

観劇+(プラス)

執筆者 / 橋本弘毅

鳥辺山ここに注目

鳥辺山は現在の京都市東山区の一部、清水寺から西大谷あたりにかけての地域の通称で、鳥辺野(とりべの)とも呼ばれる。平安時代から火葬場・墓地があり、その火葬の煙は世の無常を感じさせ、和歌や歌謡にもよく詠まれている。華やかな祗園から近いが、対照的な、男女が死地を求めてに行く先にふさわしい場所である。
江戸中期ごろから、地歌や宮薗節(みやぞのぶし)などで、実際の心中をもとに作られた「鳥辺山」という曲が伝えられている。「堀川」の通称で知られる『近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)』の堀川与次郎内の場の冒頭で、主人公・与次郎の母が近所の子どもに三味線を教えているのがこの曲。本作の竹本の詞章に、この地歌の一部がそのまま採り入れられている。

岡本綺堂

岡本綺堂(1872~1939)は幕臣の子として東京芝高輪に生まれ、藩閥全盛の時代に官途の道を諦め新聞記者となる。新聞小説の執筆をきっかけに小説や劇作家など幅広く手掛け、また多くの新歌舞伎の名作を残した。小説家としての代表作は『半七捕物帳』。世界的に有名な探偵小説であるシャーロック・ホームズのシリーズに影響を受け、日本で最初の捕物小説として現在の時代小説の大きな流れを作った。『ランプの下(もと)にて』という幼少期からの歌舞伎鑑賞を回想した随筆もあり、明治期の歌舞伎界を窺い知ることができる貴重な資料となっている。

二代目左團次と二代目松蔦

『番町皿屋敷』の項でも触れられているが、初演で半九郎とお染を演じた二代目市川左團次(1880~1940)と二代目市川松蔦(1886~1940)は、名コンビとして新歌舞伎で多くの傑作を残した。常に新しいことに挑み続けた左團次と、清純で近代的な女方像を創造した松蔦は、大正という変革期の最先端を走る存在だった。また、松蔦は左團次の妹と結婚し、左團次が亡くなった約半年後に自身も亡くなるという、文字通りの女房役でもあった。
なお、初演時に坂田源三郎を演じていた六代目市川寿美蔵(すみぞう)は後の三代目市川寿海(1886~1971)で、左團次の没後は半九郎を当り役のひとつとしてたびたび演じた。

杏花戯曲十種(きょうかぎきょくじっしゅ)ここに注目

二代目左團次が自ら選定した家の芸で、「杏花」は左團次の俳名。十種としているが、実際には『今様薩摩歌(いまようさつまうた)』『尾上伊太八(おのえいだはち)』『佐々木高綱(ささきたかつな)』『修禅寺物語(しゅぜんじものがたり)』『新宿夜話(しんじゅくよばなし)』『鳥辺山心中』『番町皿屋敷』『文覚(もんがく)』の八作品。すべて左團次が初演した新歌舞伎の作品、このうち六作品が岡本綺堂作で、『今様薩摩歌』は岡鬼太郎作、『文覚』は松居松翁作。ここにも綺堂と左團次の結びつきの強さが表れている。