彦山権現誓助剱~毛谷村 ヒコサンゴンゲンチカイノスケダチ ケヤムラ

観劇+(プラス)

執筆者 / 橋本弘毅

英彦山(ひこさん)ここに注目

英彦山は現在の福岡県と大分県の県境にまたがる山で、山そのものが神体として祀られている。元は「彦山」だったが、1729(享保14)年に霊元法皇の院宣で“英”の字が授けられ「英彦山」になったという。山形県の羽黒山、奈良県の熊野大峰山と並び、日本三大修験山に数えられる修験道場で、江戸時代の最盛期には俗に「彦山三千八百坊」といわれ、三千人の衆徒と八百の坊舎を抱えていたという。彦山豊前坊という名の天狗が住んでいるという伝承から、この物語でも吉岡一味斎は天狗に化けて毛谷村六助に剣術を授けている。中腹にある英彦山神宮は昔から別名彦山権現と呼ばれてきた。

毛谷村六助

六助のモデルは剣豪・宮本武蔵とも、実在した人物ともいわれる。加藤清正の家来・貴田孫兵衛(きだまごべえ)の前名が毛谷村六助で、女の仇討を助太刀した物語が江戸時代の軍記本に載せられ、これを下敷きに『彦山権現誓助剱』が作られた。豊臣秀吉の朝鮮出兵にも従軍したと伝わるが不明な点が多い。福岡県添田町、大分県中津市に毛谷村六助の墓が現存するが本物か不明。

女武道ここに注目

お園は「女武道」の典型的な役としてよく紹介される。懐剣で六助に斬りかかったり、臼を軽々と持ち上げるなど男勝りの強さを持つが、相手が婚約者だとわかると急に女らしさを見せて世話を焼こうとするなど、未婚の娘の可愛らしさ、つつましさをもつ。『加賀見山旧錦絵』のお初や『ひらかな盛衰記』のお筆などもこの類型だがあくまでわき役なので、一作の主人公はこのお園だけである。

虚無僧

虚無僧はもと普化宗(ふけしゅう)という禅宗の一派に属し、修行の一環として尺八を吹きながら托鉢してまわった。江戸時代には服装なども細かい決まりがあった。天蓋(てんがい)と呼ばれる深い編笠をかぶり、前に袋を、背に袈裟をかける。顔を隠すのに都合がいいので、歌舞伎などでも変装の定番として、『仮名手本忠臣蔵』九段目の加古川本蔵なども虚無僧に化けている。門口で尺八を吹いて喜捨を乞う虚無僧を断わるときは「手の内、ご無用」と言うのが約束だった。