極付幡随長兵衛 キワメツキバンズイチョウベエ

観劇+(プラス)

執筆者 / 橋本弘毅

旗本奴(はたもとやっこ)と町奴(まちやっこ)

旗本は直参(じきさん)と呼ばれる将軍直属の家来のうち、将軍への拝謁の資格がある「御目見得以上(おめみえいじょう)」の家柄で知行一万石未満のものを指す。一万石以上が大名(だいみょう)となる。江戸には、俗に八万騎と呼ばれるほど大勢の旗本がいた。 江戸幕府開府からしばらく経ち、世の中が平穏を取り戻すと、逆に武芸自慢の武士たちは活躍の場を失っていった。そんな中から、徒党を組んで町家へ繰り出し、町人たちに嫌がらせをして日頃の憂さを晴らす無頼な旗本が出現するようになった。彼らは「旗本奴」と呼ばれた。 これと競い合うように、町人たちの中から「町奴」と呼ばれる者たちが出てきた。中には悪さをするのもいたが、弱い立場の町人を守って旗本奴の悪行に対抗したため、両者は常にいがみ合うようになった。あまりの抗争の激化に取締も強化され、双方の主要人物の処刑が繰り返された結果、貞享(1684年~1687年)のころには勢力も弱まった。

幡随院長兵衛という男ここに注目

幡随院長兵衛は実在した人物。出自については諸説あるが、九州唐津藩(現在の佐賀県唐津市)の侍だった塚本伊織の子で伊太郎という名だったというのが有力。父が浪人したため親子で旅に出て、下関で父を亡くした後、江戸の著名な寺だった幡随院の住職を頼って単身江戸に上り、その後侠客として庶民に慕われる存在となったという。江戸の侠客の元祖ともいわれる。 長兵衛が水野の屋敷に赴く前に着物を着替えるが、ここでは2通りの考え方があり、現在は町人であるため羽織姿になる演出と、元武士という面を強調して裃姿になる演出がある。

水野十郎左衛門と白柄組(しらつかぐみ)

水野十郎左衛門成之(なりゆき)も実在した大身旗本で、祖父は徳川家康の家臣として数多くの武功を挙げ備後(びんご)福山藩(現在の広島県福山市)の初代藩主となった水野勝成。父の成貞(なりさだ)も初期の旗本奴として知られ、二代続いた旗本奴の代表的人物ということになる。この演目では長兵衛をだまし討ちにする人物として描かれるが、実際には権力に媚びない反骨の男だったと評価する見方もある。 白柄組は刀の柄の色を白で統一していたことからついた名称。実際の水野は大小神祇組(だいしょうじんぎぐみ)という団体を率いていたといい、白柄組は実在しなかったらしい。大小神祇組など6つの組が旗本奴の代表的な集団で、総称して「六方組」と呼ばれた。

村山座と劇中劇『公平法問諍(きんぴらほうもんあらそい)』

序幕に出てくる村山座は江戸に実在した芝居小屋で、 1634 (寛永11)年に村山又三郎を座元として開場され、のち市村座となった。序幕は河竹黙阿弥の原作にはなく、三代目河竹新七が改訂した際に付け加えられた。大きな板葺の屋根や舞台番など、江戸時代の芝居小屋の様子が見られる貴重な場面でもある。 また、歌舞伎では珍しい劇中劇として上演される『公平法問諍』は、金平浄瑠璃(きんぴらじょうるり)と呼ばれる江戸初期に流行した人形芝居を元にした歌舞伎芝居を模している。源頼光(みなもとのらいこう)の家臣坂田金時(さかたのきんとき)の息子で、正義漢溢れる少年金平(きんぴら)やその仲間が、主君のために大活躍するという単純なストーリーで、歌舞伎の荒事の成立にも影響を与えたという。現在見られるのはこの演目のみなので、こちらも成立間もないころの歌舞伎の雰囲気を味わえるという点で貴重といえる。

主役が客席から現れるここに注目

主役の幡随院長兵衛は、客席後方から登場して舞台に上がる。俳優と観客の親近感を強めるうれしい演出だ。長兵衛も観客として芝居を見ていたところに騒ぎが起きたため仲裁に入ってくるという設定で、実際の客席を村山座の客席に見立てている。この客席を通る演出は、『伊賀越道中双六』沼津の場や『与話情浮名横櫛』木更津海岸見染の場などでも見られる。

人は一代、名は末代ここに注目

水野の屋敷に行くのを止めようとする子分たちに向かい、長兵衛は「人は一代、名は末代」と語る。長兵衛の名ぜりふのひとつ。長兵衛は命を惜しんで逃げたという汚名を着て肩身狭く生き長らえるより、たとえ殺されても男として立派に死んだと後世に伝えられる方を選んだのだ。 他にも、長兵衛が遺言を残すところ、湯殿での水野とのせりふの応酬など、多くの名ぜりふが印象的な一幕である。

映画『大江戸五人男』

幡随院長兵衛は歌舞伎以外の舞台化も多く、映画化もされている。長兵衛を主役とした映画のひとつに、1951(昭和26)年に公開された松竹映画30周年記念の『大江戸五人男』がある。『極付幡随長兵衛』を主軸に『浮世柄比翼稲妻』『播州皿屋敷』『魚屋宗五郎』などいくつかの歌舞伎作品のエピソードを織り交ぜたストーリーで、幡随院長兵衛に阪東妻三郎、水野十郎左衛門に東映から客演の市川右太衛門、長兵衛の女房お兼に山田五十鈴など、記念の大作らしく当時の映画界のオールスターキャストで製作された。歌舞伎俳優も出演しており、メインキャストの一人の女形役者水木あやめに四代目河原崎権三郎(後の三代目河原崎権十郎)、劇中劇の青山鉄山役にその父の二代目権十郎、松平伊豆守に当時は映画俳優として活動していた二代目市川小太夫(初代市川猿翁の末弟)などの顔ぶれが見られる。