平家女護島~俊寛 ヘイケニョゴノシマ~シュンカン

観劇+(プラス)

執筆者 / 飯塚美砂

鹿ケ谷(ししがたに)の陰謀

1177(安元3)年、東山鹿ヶ谷の山荘に後白河法皇、藤原成親(成経の父)、西光法師、俊寛僧都らが集まり、平家打倒の密議を企てたとする事件。多田行綱の密告により発覚し、後白河法皇の責任は問われなかったが、西光は斬首。藤原成親も妹が平重盛の妻であったため一度は助命されたが流罪先で殺され、反清盛勢力は一掃されることとなった。俊寛僧都、藤原成経、平康頼は鬼界ケ島に流罪となる。翌1178(治承2)年清盛は中宮となった娘徳子の安産祈願のために恩赦を行い、成経と康頼の帰還を赦したが、俊寛は赦さず島に取り残された。

能の俊寛

能の『俊寛』では、シテが俊寛、ツレが成経と康頼、ワキが赦免使である。赦免使が二人の名前しか記されていない赦免状を読み上げると、はじめは何かのまちがいだろうと余裕を持って尊大に構えている俊寛だが、繰り返し赦免状を確認しても自分の名はない。どうあっても乗船は許されず、いよいよ船出というときに、俊寛は波の中まで船の曳綱にすがりついて行こうとする。しかし、その綱も途中で切れ、俊寛は浜辺に一人取り残される。寂寥非情の余韻だけが残される。

鬼界ケ島ここに注目

現在、俊寛僧都らが流罪にされた鬼界ケ島がどこの島を指すのかは諸説あって定かでない。薩摩国大隅半島から南の海上にある硫黄島とも、喜界島ともいわれている。『源平盛衰記』によると鬼界ケ島は群島の名だともいう。 十八代目中村勘三郎は1996年と2011年に、俊寛にゆかりがあるといわれる島の一つ、硫黄島の浜辺で、実際に船を浮かべる演出で上演し、裾を波に濡らして船を追うという真に迫った『俊寛』を演じている。

りんにょぎゃって

海女の千鳥は俊寛にひきあわされ、「りんにょぎゃってくれめせや」と挨拶する。(どうぞ娘と思って)可愛がってください、という意味らしい。実際にはこれは近松の造語した島訛(しまなまり)だが、いかにも都から遠く離れた地方の雰囲気を醸している。

千鳥の合方(ちどりのあいかた)ここに注目

俊寛と瀬尾が刀を振りかざして争う場面でながれる下座音楽は、千鳥の合方と言い、本作のほかにも浜辺の出入りや立ち回りに使われる。のちには映画のチャンバラの場面などでもよく使われるようになり、おなじみとなったメロディだ。