船弁慶 フナベンケイ

観劇+(プラス)

執筆者 / 大島幸久

異色の能『船弁慶』

能には幽霊が主役となり、はじめ村人などに身をやつして、旅人に自分が死に至るまでの物語を語り、後半はその正体をあらわして舞う「夢幻能」と呼ばれる形式があります。前半が静、後半が知盛の怨霊と、まったく別の人格を演じる『船弁慶』は異色と言えます。 歌舞伎の舞台でも静御前は、能を模して喝食(かっしき)の鬘に金烏帽子、赤地織物の唐織(からおり)の着流しです。足が開きにくい装束なので、演じる俳優はこの場面がとても大変だと口を揃えています。

歌舞伎独自のみどころ~都名所

能『船弁慶』を歌舞伎の舞踊劇に書き換えた作者・河竹黙阿弥が増補として工夫したのが、静が舞う「都名所」です。京都の四季を描いた事はあらすじでも紹介しましたが、歌詞にはさらに嵐山、鞍馬の山、北野、伏見、宇治といった名所が連綿と綴られています。能の舞は謡(うたい)と囃子に乗って舞います。笛や鼓の囃子だけで長く舞う部分もあります。黙阿弥はここに「都名所」の歌詞をつけ歌舞伎ならではの華やかさを加えました。

素(す)で踊っても値打ちのある

「芝居だとこれを『都名所』という、兎に角あれだけ引き離して、素で踊っても値打ちのあるものにしてしまう所に味があると思うね」と劇評家・渥美清太郎氏は昭和7年2月号の演芸画報に書いています。「素」とは、静や知盛の扮装を付けず、着物に袴のみで踊るやりかたで、振付の妙や踊り手の技量がよく鑑賞できる形式です。現在、舞踊会では素、一人立ちで踊る「静と知盛」が人気曲になっています。

渦巻の引っ込みここに注目

『船弁慶』の鑑賞で面白い場面の一つは知盛の霊が演じる花道の渦巻の引っ込みです。見ていると胸が高鳴り、自然と拍手を送りたくなります。名優による名演技は数多く残りますが、故五代目中村富十郎、堅田喜三久の鳴り物での名演は最高級でした。 人間国宝、喜三久のインタビューを紹介します。 「太鼓の片バチ(右手で打つ)になり、知盛の霊が出るのが基本です。早笛の音の半ばほどの少し後ですが、太鼓の音を聞いて出て来るのです。霊がクルクルと渦巻のように回るところは一番強い打ち方なんです。知盛塚がある下関の現場で渦潮を見ました。思わず巻き込まれるのではないかと思いました。天王寺屋(富十郎)はド派手好きでしょ。気に入ってくれました。回転の速度は私の頭の中で覚えている。息が合うかが問題です」。大先輩らの舞台を見て覚えた経験も加え、喜三久独自の芸と富十郎の達者な踊りが一体化した名品でした。

老人と青年の対話

古典を楽しむ場合、専門知識を多く知っている程、面白さが深まるものですが、この演目も同じです。しかし、若い人にとっては分かりづらいのは当然。そこで青年と老人が対話した一例を挙げます。 青年「こうした能の模倣ものは果たして舞踊として意義のあるものでしょうか?」 老人「いろいろ議論もあるだろうが、わたしなんぞは決して意義がないとは思わないね。歌舞伎の舞踊としては『道成寺』のようにくだいたものの方が面白いには違いない。また『勧進帳』や『土蜘』のようにその形式をマネながら、歌舞伎の特徴らしい所を出しているのが面白いじゃないか」 「『船弁慶』でも弁慶は誠につまらないが、それでも『一年(ひととせ)平家追討の一』で、ちょいと振りがつけてあるという風に、形式だけマネながらやはり芝居としての行き方は守っているじゃないか。私はとても面白いと思うよ」 これも同じく「演芸画報」で渥美清太郎氏が書いたもの。平易な文章に直してみましたが、静と知盛の霊を一人の俳優で演じ分ける面白さと共に、自分なりに楽しさを見つけるのも鑑賞方法でしょう。

名優の芸談ここに注目

名人の話にも手助けとして耳を傾けてみましょう。 「静が義経に別れに舞を演じるが、能では『伝授物』といわれ、充分に情を込めて演じるのが肝要です。前ジテの静が情を見せ、後ジテの知盛が怖ろしさを見せる剛柔を分けて演出するというのが、山でしょう」とこれは「梅の下風」の六代目尾上梅幸の芸談。 二代目尾上松緑は後ジテの知盛について「海上に浮かび出た知盛の幽霊ということを、花道の出から引込みまで一貫して忘れぬのが大切。加えて平家の公達としての品位、武将としての凛々しさ、亡霊の鬼気迫る妖しさが重要」(「日本舞踊全集」より)と語っています。 とにかく何回も、集中して楽しく見れば、あなたは“通”の一人になれますぜ。