観劇+(プラス)
人気ナンバーワン! 究極の名せりふ
「大川端庚申塚の場」のお嬢吉三のせりふは数ある歌舞伎の名せりふの中でもとりわけ人気が高く、河竹黙阿弥ならではの流れるような七五調で見事に謳(うた)い上げられています。
「月も朧(おぼろ)に白魚の 篝(かがり)もかすむ春の空 つめてえ風もほろ酔いに 心持よくうかうかと 浮かれ烏(がらす)のただ一羽 塒(ねぐら)へ帰(けえ)る川端で 棹(さお)の雫(しずく)か濡れ手で粟(あわ) 思いがけなく手に入(い)る百両」
(御厄(おんやく)払いましょう 厄落とし・・・と遠くから声が聞こえます)
「ほんに今夜は節分か 西の海より川の中 落ちた夜鷹(よたか)は厄落とし 豆沢山に一文の 銭と違って金包み こいつあ春から縁起がいいわえ」
随所にみられる「八百屋お七(やおやおしち)」の趣向ここに注目
八百屋お七は江戸本郷の八百屋の娘で、放火事件を起こし処刑された実在の人物。史実以上に物語や浄瑠璃、講談、芝居などで数々に脚色されていますがおおよそのストーリーは、火事で焼け出された一家が吉祥院に仮住まいした折、寺小姓の吉三郎(きちさぶろう=吉三)にお七が恋をし、火事になれば再び吉三郎に会えると自宅に放火、火あぶりの刑になったとされています。この演目では「吉三」という主人公の名や、「お七という娘」として育てられた八百屋久兵衛の息子、和尚吉三の「吉祥院」などにその趣向が生かされ、「本郷火の見櫓の場」も『櫓のお七』の書き替えです。
庚申(かのえさる)と庚申(こうしん)
この演目は安政7年(1860)の正月に市村座で初演されましたが、この年は申(さる)年でさらにいえば60年に一度という庚申(かのえさる)の年まわり。古い言い伝えでは庚申の日に生まれた子は盗癖があるとされ、また庚申の使いに三猿(さんざる=見ざる 言わざる 聞かざる)があり、三人の盗賊との関連がいろいろと伺えます。また三人が出会ったのも「大川端庚申塚(こうしんづか)」、探し求めた名刀が「庚申丸」と、いろいろなところにこの名が登場します。
初演の形ともうひとつの挿話
初演時の外題(げだい)は『三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)』といい、十三郎の主人・木屋文里(ぶんり)と吉原の遊女・一重(ひとえ=お坊吉三の妹)の悲恋情話が絡んできます。この部分をカットし外題を『三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)』と改めてひときわ人気演目となりましたが、「白浪」とは盗賊のこと、「巴白浪」で三つ巴の盗賊という趣向が伝わってきます。初演の配役はお嬢吉三=三代目岩井粂(くめ)三郎(後の八代目岩井半四郎)、和尚吉三=四代目市川小團次、お坊吉三=初代河原崎権十郎(後の九代目市川團十郎)、土左衛門伝吉=三代目関三十郎となっています。