一本刀土俵入 イッポンガタナドヒョウイリ

観劇+(プラス)

執筆者 / 鈴木多美

作者とモデル

作者長谷川伸は明治17年(1884)横浜に生まれたが、生家が没落し幼いころから数々の仕事に就いていた。14歳で品川の料理屋の出前をした頃、越後生まれの遊女の「おたかさん」から「その若さでこんな所にいて末はどうなる」と意見されお金とお菓子を貰った。このおたかさんが「一本刀土俵」お蔦のモデルとなる。長谷川伸は後に新聞記者となり、大正13年に書いた「夜もすがら検校」が出世作となって翌年から作家生活に入る。後年おたかさんを捜したが再会はできなかった。

越中おわら節

お蔦は越中八尾出身で故郷の民謡「おわら節」を口ずさむが、これが後に茂兵衛とお蔦を再会させる手がかりになる。おわら節は胡弓の音に乗せて歌われる美しい歌で、毎年9月催される八尾の「おわら風の盆」で、優美な踊りに合わせて歌われる。お蔦と娘お君が歌う歌詞は「おらちゃ友達や、さたね(菜種)の花よ、ハア、どこいしょのしょ、盛り過ぎれば オワラちらばらと」。

駒形茂兵衛の役作りここに注目

駒形茂兵衛のモデルは大正期に活躍した峰崎部屋の「真砂石(最高位小結)」で、不愛想な性格で贔屓客が少なかったという。得意技が頭突きで、六代目菊五郎は彼の言葉づかいや仕草を取り入れた。大詰の立ち回りには茂兵衛が頭突きをして儀十の手下を追い出す型と、土俵に両手を付いて仕切りの仕草をする型など様々ある。後半博徒となった茂兵衛にも、実在の侠客のモデルがいたと言われる。

お蔦の役造り

お蔦が「ヨウヨウ、駒形ぁ」と明るく声を掛けて茂兵衛を励ます場面がある。六代目中村歌右衛門を始めとする女形は二階窓から伸び上るように立ち上がり両手を振る。前進座の五代目河原崎国太郎は、もし貧乏育ちの女性ならお金が惜しくて有り金全部茂兵衛にやれない筈だと解釈し、お蔦は元は裕福な商人の娘で故郷の実家が傾き安孫子屋に流れてきた女で、「駒形」と二階から呼びかけるのも、明るく呼びかけず、「駒形」と普通に呼んでわが身の落ちぶれた姿に悲しくなるというやり方である。

「しがない」登場人物たちここに注目

長谷川伸の作品の主人公に出世して大成功を納めた人物はいない。描くのは、夢叶わずとも市井でその日を精一杯生きる「しがない」人々である。作者は端役まで気を配って描き分けている。登場する子守や二人の老船頭たちのとぼけたせりふなども印象が深く、それぞれ長く持ち役にする脇役俳優が存在感を示す。茂兵衛に絡むやくざの若い者堀下の根吉役は花形役者が演じるなど、こまやかな演出もこの作品の世界を生き生きとしたものにしている。