観劇+(プラス)
花魁道中
花魁は吉原で最も格の高い遊女で、花魁を呼ぶには遊女屋ではなく引手茶屋を通して呼び出しをしなければなりませんでした。そして呼び出された花魁が禿(かむろ)や振袖新造たちを従えて遊女屋と引手茶屋の間を華やかに行き来することを花魁道中と呼びます。お大尽と呼ばれるような上客は茶屋で花魁の出迎えを受け、妓楼へ出かけて遊びます。 この演目では、桜の咲き乱れる吉原仲之町の大通りを七越、九重といった美しい花魁の道中が花道から舞台いっぱいを使って行き交ったのち、いよいよ八ツ橋の道中が舞台中央から大輪の花が開くように現れ、ここで八ツ橋の美しさを最大限に演出して見せます。
縁切り物ここに注目
この演目は『伊勢音頭』や『御所五郎蔵』『縮屋新助』と並ぶ「縁切り物」の代表作です。「縁切り物」の展開にはおおよそ定型があり、まずは「出会い(見染め)」そして「愛想尽かし(縁切り)」、最後はお決まりの「仕返し(殺し)」となります。多くの場合、愛想尽かしは決して女の本心ではなく、事情が絡んで板挟みとなり止むに止まれず、表向き繕っていずれ本心を明かそうとしているところ、男の方は真に受けて逆上し殺しに走り、心がすれ違ったまま惨劇を迎える、こういったところが概ねのお決まりです。
愛想尽かしと名せりふ
「愛想尽かし」のせりふが特に見どころ聴きどころ。八ツ橋は次郎左衛門に申し訳ないと思いつつも愛想尽かしをし、次郎左衛門も苦しい胸の内を吐露します。
八ツ橋「とおから茶屋衆に断わりたいと思っていたれど、お世話になる立花屋さんのお客ゆえ、一日一日延ばすうち、のっ引きならぬ身請けの相談。わたしゃ身請けをされるのは元々いやでありんすから、お断わり申しますよ。どうぞこの後、わちきのところへ遊びに来てくださんすな」
「及ばぬ身分でござんすが、仲之町を張るこの八ツ橋、一旦いやと言い出したら、お前たちが口を酸(す)くして百万だら並べても、わたしゃ身請けは嫌でありんす」
次郎左衛門「花魁、そりゃあちと、そでなかろうぜ。夜ごとに変わる枕の数、浮川竹(うきかわたけ)の勤めの身では、昨日にまさる今日の花と、心変わりがしたかは知らねど、もう表向き今夜にも身請けのことを取り決めようと、夕べも宿で寝もやらず、秋の夜長を待ちかねて、菊見がてらに廓(さと)の露、濡れてみたさに来てみれば、案に相違の愛想尽かし。そりゃもう田舎者のわしゆえに、断られても仕方がない、がなぜ初手から言うては下されぬ。江戸へ来るたび吉原で、佐野の誰とか噂もされ、二階へ来れば朋輩の花魁たちやかむろにまで、呼ばれるようになってから、指をくわえて引っ込まりょうか。ここの道理を考えて、察してくれても良いではないか」
「そでなかろうぜ」とは、「ひどいじゃないか」「つれないじゃないか」というような言葉。廓のなかの恋は嘘の遊びだとしても、これではあんまりだという男の嘆きの深さが伝わってきます。
妖刀「籠釣瓶」の巡り合わせここに注目
「籠釣瓶」は次郎左衛門秘蔵の、伊勢の名工村正の刀です。「籠釣瓶」のように「水も溜まらぬ切れ味」ということで付いた名ですが、抜かずに秘蔵していればその身に祟りはなし、しかしひとたび抜けば血を見ぬうちは納まらぬという妖刀でした。なぜ田舎商人の次郎左衛門がこんな名刀を持っているのかは、物語の前半に描かれています。都築武助という武士が流浪の旅の途中、ならず者に囲まれた次郎左衛門を救い、武助はその縁で次郎左衛門の家に滞在するようになりますが、病を得て亡くなります。武助から形見として都築家の家宝籠釣瓶が次郎右衛門に贈られたのでした。原作では八ツ橋を殺したあと、次郎左衛門は大勢の人を殺して取り押さえられます。
籠釣瓶とは
初代市川猿翁の末弟である市川小太夫(1902~1976)が書いた『吉原史話』に、籠釣瓶が絵入りで紹介されています。籠釣瓶とは、出火に備えてお屋敷や大店の軒に吊してあった非常用品。竹と紙でできた手桶(ておけ)のようなかたちで、乾くと箍(たが)がゆるんで外れる桶と違い、水を溜めておかなくてよかったそうです。皮をはいだ竹を網代(あじろ)に編んだ上に蕨糊(わらびのり)で厚紙を貼り、その上に漆を塗ってできていて、枠や底、釣手は木製。作るのは葛籠職人でした。「籠釣瓶は水を溜めて置かぬ、が水も溜まらずの通音となって、刀の銘としたものと考えられます」と小太夫は書いています。