死んだと思っていた恋人たちが再会する大人の恋物語。男が落ちぶれ、女は優雅に暮らしている。そして仲がまた復活しそうだが、どうも幸せになりそうもない。テレビドラマにもよくある設定だが、このお芝居はほんとうにあった話が題材だとか。何だか縁が切れない哀しい運命の恋のお話は、今も昔も変わりはなく面白い。
江戸の小間物問屋伊豆屋の若旦那与三郎は気立てのよい実にイイ男。養子だったが、実子の弟与五郎に跡目を譲るべきという気持ちになり、わざと放蕩三昧を重ねて勘当され、木更津の知り合いに預けられていた。一方、この町を牛耳るやくざの親分赤間源左衛門は、江戸で評判の芸者お富を落籍(ひか)して妾にしていた。ぶらぶらと浜辺へ出た与三郎は、大勢の子分や女中をお供に浜遊びをするお富とすれ違って一目ぼれ。お富も片田舎では見かけない江戸前の与三郎に惹かれる。
ある日、赤間源左衛門が鎌倉へおもむくことになる。源左衛門が旅立ったのをさいわい、お富は赤間の別荘へ与三郎を呼び寄せた。つかの間逢瀬を楽しんだ二人だが、子分に気づかれてしまい、知らせで戻ってきた源左衛門に見つかる。お富は逃げ出して海に飛び込んだが、与三郎はつかまえられる。怒った源左衛門は与三郎をなぶり斬りにし、顔や体に34か所もの傷をつけて放り出す。波間をただよい瀕死のお富は、偶然通った船に助けられる。
三年後、舞台は東京湾の対岸鎌倉に移る。九死に一生を得たお富は、質店和泉屋の番頭多左衛門に囲われ、源氏店(げんじだな)の妾宅で何不自由ない暮らしをしていた。下女を連れたお富が湯屋からの帰りがけ、裏口で雨宿りをする番頭藤八を見かけて家へあげると、藤八は化粧を直すお富にずうずうしく近寄り、自分もおしろいを付けてもらいたいという。妾暮らしの気ままさで、お富は藤八におしろいをつけてやって退屈しのぎ。
傷だらけの身体にされた与三郎も鎌倉へ流れついて、頬に蝙蝠の入れ墨がある蝙蝠安(こうもりやす)の相棒になり、傷跡を元手に強請(ゆす)りなどして日を送る身の上になっていた。二人は傷の養生代をたかるつもりで、源氏店のお富のもとへやってくる。最初は突っぱねていたお富だが、押し問答が面倒になると、「立派な亭主のある体だ」と啖呵を切って、一分(一両の四分の一にあたる銀貨)を投げてやる。蝙蝠安が有難く受け取って引き下がろうとすると、それまで黙っていた与三郎が押し止めた。
与三郎は、お富に向き直って近づきながら、「おかみさんへ、お富さんへ、いやさお富、久しぶりだなあ」と声をかける。「そういうお前は」と問いかけるお富に、「与三郎だ」と名乗ると、手拭いで隠していた顔を見せ、着物の袖をまくって総身に受けた傷を見せる。ハッと胸に手を当てるお富。お富がぬくぬく暮らしていることをなじり、「死んだと思ったお富が生きていたとは、お釈迦様でも気が付くめえ」と悪態をつき、この家のものはすべてお富の亭主である俺のものだと息巻く。
そこへお富を囲う和泉屋の番頭多左衛門が帰ってきた。蝙蝠安は親の代から和泉屋には世話になっている身だったので、その顔を見て縮みあがる。多左衛門は落着き払った態度で、与三郎は誰かと尋ねた。お富はとっさに「兄さんだ」と言いつくろう。与三郎に向かって多左衛門は、「お富を囲っているが男女の関係はない」といい、適当な商売でも始めるようにと、与三郎に相当な金を受け取らせるのだった。
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