大坂天満の紙屋の主人治兵衛は、
妻子がありながら北新地の遊女紀の国屋小春と深い仲になった。
周囲から逢う瀬を止められ義理にも縛られ、生きる道を閉ざされた二人は網島で心中する。
北新地は酔客たちで賑わっている。茶屋の河庄に来た紀の国屋抱えの遊女小春は、恋しい紙屋治兵衛と心中の約束をしていたが、二人の噂が世間に広まったため抱え主は治兵衛と逢うことを禁じた。一方で横恋慕している太兵衛との身請け話が進んでいる。今宵初めて来た侍客に向かい、小春は首を括(くく)るのと喉を斬るのとではどちらが痛いかと尋ねる。
天満の紙屋の主人治兵衛は二人の子を持つ身ながら小春と深い仲になり、金に詰まった上に親類への不義理も重なり、今度逢った折に心中しようと約束していた。煮売り屋で小春が河庄に来ていると耳にした治兵衛は、魂の抜けたとぼとぼとした足取りで河庄に来て戸口から小春の様子を伺い、そのやつれた姿に涙をこぼし、自分が来ていることを知らせたいと苛立つ。
座敷に戻った小春は侍客に向かい、一旦は治兵衛と死ぬ約束をしたが、周囲のことを考えると死なずにいたい、そのために貴方が客になって逢い続けて治兵衛の邪魔をしてくれないかと頼んだ。外でそれを聞いた治兵衛は逆上し、思わず格子越しに映る人影に向け脇差(わきざし)を突っ込むが、逆に侍客に格子に手を縛られてしまった。通り掛かった太兵衛がこの姿を見付けて乱暴すると、中から飛び出してきた侍客が太兵衛を懲らしめ、治兵衛を助けた。
侍客が頭巾を取ると何と兄の孫右衛門だった。孫右衛門は治兵衛に向かい、二人の子を持ち従妹に当たるおさんという女房がありながら、小春にうつつをぬかしている不行跡を責め、先ほど小春が言った真意を聞いたかと嘆く。治兵衛も三年来小春に騙されていたと後悔し、互いに取り交わした起請(きしょう)を取り返してくれと兄に頼む。孫右衛門が小春の懐から起請の入った紙入れを奪うと、中に一通の手紙があった。宛名は「小春様参る紙屋内」。文を読んだ孫右衛門は、小春がこの状の主に義理を立てたことを知るが、何も言わずに、いきり立つ治兵衛を促して共に帰っていった。
それから十日ほど経った十月十四日、紙屋では女房おさんが丁稚の三五郎を叱りつけながら家事を仕切っていた。そこへ兄孫右衛門が叔母に当たるおさんの母と共にやってきた。治兵衛は慌てて算用をしている振りをするが、兄と叔母は世間で小春の身請けの噂をしていると語り、治兵衛を責めた。治兵衛は、その身請け話の主は自分ではなく太兵衛だと弁解し、おさんもそれを証明するので、二人は治兵衛に誓紙を書かせて帰っていった。
おさんが二人を見送って、ふと見ると治兵衛は再び炬燵に寝転び、泣いている。おさんは夫を引き起こし「女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか」と責め「その涙が蜆川へ流れ小春が汲んで飲むだろう」と恨み言を言った。治兵衛はそうではないと弁解し、あれほど堅く誓ったにも関わらず、十日も経たぬのに太兵衛に身請けされる小春の不実が憎いと語った。それを聞いたおさんは小春が死ぬ覚悟でいることを悟った。
おさんは小春に治兵衛と別れてくれという文を出した次第を語り、小春を殺しては女同士の義理が立たぬ、何としても治兵衛に小春を身請けして欲しいと、有り金を差出した上に、足らぬ分の質草に自分の着物まで用意した。
治兵衛は小春の誠を知って気負いたつが、はっと気付き「お前はどうする」とおさんに尋ねた。おさんは涙を隠し「子供の乳母か飯焚き」になろうと答える。治兵衛は女房の罰が恐ろしいと手を合わせた。そこへおさんの父の五左衛門がやってきた。その場の様子を見た五左衛門は、治兵衛を罵倒しおさんを無理やり引っぱって帰って行った。
翌十五日の夜、蜆川の茶屋大和屋で小春と示し合わせた治兵衛は、勘太郎を三五郎に背負わせ治兵衛の安否を尋ねて歩く孫右衛門を物陰からやり過ごし、忍び出た小春と共に心中の道行に出た。
月の光を道しるべに二人は蜆川を西に見て天神橋、天満橋、京橋、御成橋と過ぎ、やがて網島の大長寺に辿りついた。橋の名を読み込んだこの「道行」は「名残の橋づくし」と名づけられている。
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